人 物 史

亮信 りょうしん
生 没 年天文4年(1535)-天正19年(1591)
出 身-
俗 姓(氏)-俗 名-
別 称-
院 号 坊 号恵心院
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兄 弟 姉 妹-
所 属 寺 社延暦寺横川解脱谷満蔵院
延暦寺恵心院
千妙寺[住持]
僧 位 僧 官権僧正
諡 号-
師 匠-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
亮信 年表
天文4年 1535年 -月-日 1歳
亮信が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 21歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 24歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 36歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀2年 1571年 9月12日 37歳
織田信長延暦寺、和邇、堅田、坂本(近江国)を焼き討ちする。明智光秀を坂本(近江国)に置く。
出典:『信長公記』巻4(5)「叡山御退治の事」、『多聞院日記』同年月日条

天正1年 1573年 7月28日 39歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 -月-日 48歳
亮信が横川再興を勅により命じられる。
出典:『横河堂舎並各坊世譜』「恵心院」の項(『天台宗全書』)

天正12年 1584年 7月8日 50歳
権僧正に補任される。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 7月16日 50歳
青蓮院尊朝亮信を師として潅頂前の加行を開始する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 7月28日 50歳
亮信青蓮院尊朝に潅頂の許可を授ける。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 9月30日 50歳
夜、亮信青蓮院尊朝に両部潅頂を授ける。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 10月8日 50歳
亮信が参内し権僧正補任の礼をする。引合10帖、紋紗1巻を献上する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 10月24日 50歳
青蓮院尊朝坂本(近江国)の亮信の宿所を訪れ3種3荷を贈る。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 11月2日 50歳
亮信に仏法弘通と天地長久の祈念に励むようにという綸旨が発給される。また、亮信は探題に補任される。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 12月8日 50歳
亮信が千妙寺に帰るため青蓮院尊朝のもとを訪れ暇乞いをする。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 12月9日 50歳
亮信が千妙寺に帰るため京都を発つ。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 -月-日 50歳
恵心院亮信が勅および青蓮院尊朝より横川諸堂の復興を命じられる。
出典:『横川堂舎並各坊世譜』「中堂」の項(『天台宗全書』)

天正17年 1589年 11月27日 55歳
亮信が別請竪義を復興し探題を勤める。
出典:『横河堂舎並各坊世譜』「恵心院」の項(『天台宗全書』)

天正19年 1591年 -月-日 57歳
亮信が死去する。
出典:『横河堂舎並各坊世譜』「恵心院」の項(『天台宗全書』)

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