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事項 |
出典 |
天文21年 | 1552 | 8 | 20 | 248 | 尊朝が生まれる。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
弘治1年 | 1555 | - | - | 251 | 尊朝が青蓮院門室を相続する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
永禄5年 | 1562 | 12 | - | 258 | 青蓮院尊朝が得度する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
永禄6年 | 1563 | 3 | 26 | 259 | 父・伏見宮邦輔親王が死去する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
永禄6年 | 1563 | 12 | 21 | 259 | 親王宣下を受ける。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
永禄8年 | 1565 | 12 | 24 | 261 | 青蓮院尊朝が四天王寺別当に補任される。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
永禄9年 | 1566 | 2 | 23 | 262 | 青蓮院尊朝が覚恕を師として加行を開始する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
永禄10年 | 1567 | 2 | 3 | 263 | 青蓮院尊朝の加行が結願(完了)する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
永禄12年 | 1569 | 10 | 17 | 265 | 足利義昭が青蓮院尊朝の同院門跡領近江国高島郡葛川寺務職および山林を安堵する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
元亀2年 | 1571 | 9 | 12 | 267 | 織田信長が延暦寺、和邇、堅田、坂本(近江国)を焼き討ちする。明智光秀を坂本(近江国)に置く。 | 『信長公記』巻4(5)「叡山御退治の事」、『多聞院日記』同年月日条 |
元亀2年 | 1571 | 12 | 19 | 267 | 青蓮院尊朝が、青蓮院領の四天王寺寺務職について、大覚寺門跡領であると偽って細川藤孝が違乱をするので、その違乱停止と青蓮院領であることを認める綸旨を四天王寺衆僧中宛に発給してもらう。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正1年 | 1573 | 7 | 5 | 269 | 青蓮院のある東山一帯で大乱が勃発したため、青蓮院尊朝は多武峰へ避難する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正2年 | 1574 | 12 | - | 270 | 青蓮院尊朝が上洛する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正3年 | 1575 | 8 | 27 | 271 | 愛宕山福寿院幸朝が青蓮院尊朝の書道の門人なる。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正3年 | 1575 | 11 | 7 | 271 | 織田信長が青蓮院尊朝に新地として山城国粟田口72石と花園28石余を給付する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正4年 | 1576 | 1 | - | 272 | 青蓮院尊朝が鰐淵寺勧進帳を清書する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正4年 | 1576 | 5 | 2 | 272 | 公家衆の二条晴良、九条兼孝、一条内基、西園寺公朝、近衛信基、三条西実枝、、中山孝親、菊亭晴季、徳大寺公維、飛鳥井雅敦、山科言継、庭田重保、高辻長雅、葉室頼房、持明院基孝、柳原淳光、四辻公遠、甘露寺経元、水無瀬兼成、高倉永相、山科言経、庭田重通、勧修寺晴豊、正親町実彦、中山親綱、松木宗房、中院通勝、富小路千夜叉(秀直)、唐橋尊松(在通)、烏丸光宣、五辻為仲、冷泉為純、雅敦、大炊御門経頼、日野輝資、竹内長治、東坊城盛長、水無瀬親具、白川雅朝、久我季通、西洞院時通、中御門宣教、広橋兼勝、高倉永孝、冷泉、葉室長教、四辻季満、高倉範国、万里小路充房、四条隆昌、橋本実勝、冷泉俊久、薄以継、五辻元仲、五条為名、門跡衆の仁和寺守理、青蓮院尊朝、妙法院常胤、聖護院道澄、大覚寺尊信、勧修寺聖信、三宝院義演、実相院が妙覚寺に滞在中の織田信長のもとに礼に訪れる。公家衆からの進物を村井貞勝が披露する。 山科言継、山科言経、葉室頼房、葉室長教、冷泉、薄以継が二条晴良邸の跡地に建てた信長の屋敷を見物する。 | 『言経卿記』同年月日条、『兼見卿記』同年月日条 |
天正4年 | 1576 | 12 | 18 | 272 | 青蓮院尊朝が米田求政より依頼のあった源氏小部1冊を調えたので吉田兼見に託す。 | 『兼見卿記』同年月日条 |
天正8年 | 1580 | 6 | 1 | 276 | 青蓮院尊朝が青蓮院領の鞍馬寺別当職を織田信長より安堵される。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正8年 | 1580 | 11 | - | 276 | 薩摩国の八木越後守が青蓮院尊朝の書道の門人となる。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正9年 | 1581 | 12 | 5 | 277 | 薩摩国の八木越後守が青蓮院尊朝に唐墨2挺を贈る。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正9年 | 1581 | 12 | 20 | 277 | 貴船社造営につき21日に心経を奉納するようにとの神託があったため、大乗院尋憲が紺紙金泥心経1巻を清書する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 2 | 21 | 278 | 根来寺蓮華谷幸福院の児・千松丸(後に密千代と改名)が手習として青蓮院に入寺する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 3 | 8 | 278 | 甲斐征伐のためこの日に出陣した織田信長のために禁裏において八幡宮法楽和歌が催される。参加者は青蓮院尊朝。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 4 | 24 | 278 | 青蓮院尊朝、妙法院常胤が安土城(近江国)に向け出発。大津(近江国)より乗船して向かう。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 4 | 25 | 278 | 青蓮院尊朝が安土城(近江国)に登城する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 4 | 26 | 278 | 午刻(11:00-13:00)、青蓮院尊朝が青蓮院に帰院する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 5 | - | 278 | 御茶屋を新たに造る。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 6 | 5 | 278 | 青蓮院尊朝が本能寺の変後の混乱により『門葉記』ならびに潅具唐櫃を禁裏紫宸殿東方に移し、その他の雑具を上乗院里坊に移す。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 6 | 19 | 278 | 青蓮院尊朝が醍醐(山城国)に行き明智光秀ら2000人の頸を見物する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 9 | 13 | 278 | 尊鎮33回忌法会を執行する。調声:梶井宮最胤、伽陀:真如堂全海、錫杖:良慶。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 11 | 5 | 278 | 青蓮院尊朝が日吉社再建のことについて、丹羽長秀より許可を得る。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正10年 | 1582 | 12 | 24 | 278 | 青蓮院尊朝が南光坊祐能に延暦寺南谷衆談をもって奉加を募り日吉社大宮を起立するよう命じる。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正11年 | 1583 | 閏1 | 26 | 279 | 大仏師康正に山門三院および日吉社内神体仏像の彫刻を命じる令旨を同内容の綸旨に添えて青蓮院尊朝が発給する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正11年 | 1583 | 閏1 | 29 | 279 | 羽柴秀吉が青蓮院尊朝に青蓮院領を安堵する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正11年 | 1583 | 3 | - | 279 | 日吉社大宮の仮遷宮が行われる。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)、「青蓮院文書」 |
天正11年 | 1583 | 5 | 27 | 279 | 青蓮院尊朝が羽柴秀吉に会うため坂本(近江国)に向かう。秀吉に緞子1端、一柳直次に30疋、杉原家次に10疋を贈る。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正11年 | 1583 | 5 | 28 | 279 | 青蓮院尊朝が坂本(近江国)から志賀(近江国)を経て山越に帰京する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正11年 | 1583 | 5 | - | 279 | 青蓮院尊朝が日吉社再興の奉加を天台宗諸山学頭に募る。 | 「青蓮院文書」 |
天正11年 | 1583 | 6 | 13 | 279 | 青蓮院尊朝が延暦寺再興勧進帳を執筆する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正11年 | 1583 | 7 | 15 | 279 | 青蓮院尊朝が横川三光坊に令旨を下し日吉社聖真子の再興を命じる。 | 『天正本山再興記』,「延暦寺文書」,「青蓮院文書」 |
天正11年 | 1583 | 7 | - | 279 | 宇佐社社僧安門坊が青蓮院尊朝の書道の門人となる。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正11年 | 1583 | 9 | 23 | 279 | 鰐淵寺が青蓮院尊朝に銀2枚を進上する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 1 | 8 | 280 | 青蓮院尊朝、梶井宮最胤が大坂城(摂津国)に下向し羽柴秀吉に年始の礼をする。湯がけ3具を贈る。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 1 | 18 | 280 | 青蓮院尊朝が二品に叙される。尊朝は正親町天皇が病のため青蓮院にて不動法を修す。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 2 | 16 | 280 | 青蓮院尊朝が六波羅密寺で開帳されている本尊の見物に赴く。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 3 | 7 | 280 | 青蓮院尊朝が参内し延暦寺再興の綸旨発給を奏聞する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 7 | 16 | 280 | 青蓮院尊朝が亮信を師として潅頂前の加行を開始する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 7 | 28 | 280 | 亮信が青蓮院尊朝に潅頂の許可を授ける。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 8 | 19 | 280 | 立印伝授。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 9 | 30 | 280 | 夜、亮信が青蓮院尊朝に両部潅頂を授ける。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 9 | - | 280 | 青蓮院尊朝が青蓮院末寺の法度を定め、末寺に伝達する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 10 | 1 | 280 | 青蓮院尊朝が瑜祇秘密を伝授される。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 10 | 4 | 280 | 青蓮院尊朝が蓮光院祐長において潅頂を授かる。夜、尊朝は胎金を執行する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 10 | 5 | 280 | 合行。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 10 | 6 | 280 | 青蓮院尊朝が瑜祇秘密を授かる。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 10 | 24 | 280 | 青蓮院尊朝が坂本(近江国)の亮信の宿所を訪れ3種3荷を贈る。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 10 | 25 | 280 | 青蓮院尊朝が日吉社に参詣する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | 12 | 8 | 280 | 亮信が千妙寺に帰るため青蓮院尊朝のもとを訪れ暇乞いをする。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正12年 | 1584 | - | - | 280 | 恵心院亮信が勅および青蓮院尊朝より横川諸堂の復興を命じられる。 | 『横川堂舎並各坊世譜』「中堂」の項(『天台宗全書』) |
天正13年 | 1585 | 2 | 12 | 281 | 青蓮院尊朝が天台座主に補任される。夜、長日如意輪法を修す。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 | 1585 | 4 | 19 | 281 | 青蓮院尊朝が日吉祭につき座主奉幣使として承仕・善暁を遣わす。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 | 1585 | 7 | 11 | 281 | 羽柴秀吉への関白宣下が行われる。 | 『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 | 1585 | 閏8 | 17 | 281 | 青蓮院尊朝が葛川明王堂勧進帳を執筆し、常俊坊に渡す。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 | 1585 | 閏8 | 21 | 281 | 阿蘇山社僧等覚院が青蓮院尊朝のもとに礼に来る。龍画1幅・金香炉・木綿2端・沈香を進上する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 | 1585 | 11 | 17 | 281 | 青蓮院尊朝が船にて大坂城(摂津国)に下向する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 | 1585 | 11 | 21 | 281 | 羽柴秀吉が青蓮院尊朝に粟田口(山城国)210石を寄附する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 | 1585 | 11 | 23 | 281 | 青蓮院尊朝が大坂城(摂津国)より上洛する。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 | 1585 | 12 | 3 | 281 | 前田玄以が青蓮院尊朝に検地帳を送る。 | 『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正16年 | 1588 | 4 | 16 | 284 | 聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「千歳へむ 君がよはひを けふはなを 色にみせたる 庭の松枝」と詠む。 | 『豊鑑』巻3 |
天正17年 | 1589 | 9 | 17 | 285 | 祇園社大塔が完成し槌供養が行われる。曼荼羅供養の導師は青蓮院尊朝。 | 祇園大塔棟札写(「八坂神社文書」719号) |
文禄4年 | 1595 | 11 | 17 | 291 | 豊臣秀吉の病につき青蓮院尊朝を導師として不動法が修される。 | 『左大史孝亮記』同年月日条 |
慶長2年 | 1597 | 1 | 24 | 293 | 三宝院義演が病の青蓮院尊朝に見舞いの使者を送る。 | 『義演准后日記』同年月日条 |
慶長2年 | 1597 | 2 | 13 | 293 | 青蓮院尊朝が死去する。 | 『義演准后日記』同年月日条 |
慶長2年 | 1597 | 2 | 17 | - | 真如堂において尊朝の葬儀が執り行われる。 | 『義演准后日記』同年月日条 |