寺 院 史

頂法寺 六角堂(山城国) ちょうほうじ ろっかくどう
本 尊如意輪観音
創 建用明天皇2年 587年[伝]
開 基聖徳太子[伝]
山 号紫雲山
宗 派天台宗
別 称-
関連宗教施設-
現 所 在 地〒604-8134
京都府京都市中京区六角町東洞院西入堂之前248
旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク-
頂法寺 六角堂(山城国) 年表
承保4年 1077年 10月6日 
六角堂の町が焼失する。ただし、観音宝殿は火災を免れる。
出典:『扶桑略記』同年月日条

文安4年 1447年 6月18日 
寅刻(3-5時)、r頂法寺の本尊の遷座が行われる。
出典:『康富記』同年月日条

天文1年 1532年 9月26日 
一向一揆勢と薬師寺国長・法華衆が山崎(山城国)にて戦っているのをうけ、上京の町衆が集会のため革堂の鐘を、下京の町衆が六角堂の鐘を鳴らす。
出典:『二水記』同年月日条

永禄7年 1564年 7月6日 
伏見殿が六角堂所蔵の太子絵伝5幅の事書を読む。
出典:『言継卿記』同年月日条

天正14年 1586年 6月11日 
上杉景勝が木村清久の風呂の振舞を受ける。六角堂にて拍子の興行を見物する。
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)

慶長2年 1597年 3月11日 
誓願寺で供養会が執行される。導師は大覚寺空性。職衆は100口で東寺衆50口、高野衆50口。集会所は六角堂で、誓願寺まで莚道2行を敷く。
出典:『義演准后日記』同年月日条

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