寺 院 史

誓願寺(山城国) せいがんじ
本 尊-
創 建-
開 基-
山 号-
宗 派浄土宗
別 称-
関連宗教施設-
現 所 在 地〒604-8035
京都府京都市中京区新京極通三条下る桜之町453

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旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク誓願寺の関連文化財
誓願寺(山城国) 年表
文安1年 1444年 4月3日 
誓願寺勧進として平家物語を開始。珍一検校・重一検校が担当する。平家物語を聴きに誓願寺を訪れる。木一検校の平家物語を聴く。
出典:『康富記』4月7日条

文安1年 1444年 4月7日 
中原富康・勧修寺右兵衛・左中弁が誓願寺勧進として行われている平家物語を聴きに誓願寺を訪れる。珍一検校・重一検校は声が出なくなってしまったため木一検校の平家物語を聴く。
出典:『康富記』同年月日条

文安1年 1444年 5月5日 
中原富康が誓願寺で勧進として行われている平家物語を聴きに行く。この日、勧進の一部が終了。珍一検校・重一検校が担当する。
出典:『康富記』同年月日条

文明6年 1474年 8月5日 
誓願寺の鐘を白雲構の外で鋳る。足利義政足利義尚、日野富子が見物する。貴賤が群集するという。(この年、7月~9月にかけて二条大宮・猪熊・堀川・北野で東西両軍が戦闘)
出典:『実隆公記』同年月日条、『言国卿記』同年月日条、『親長卿記』同年月日条(増補史料大成刊行会編『増補史料大成 親長卿記一』臨川書店、1975年)

文明9年 1477年 6月26日 
誓願寺御堂柱立。勧進聖 十穀沙門が造営を指揮。文明8年より勧進を行うという。勧進帳は一条兼良が執筆。室町殿が万疋を奉加として寄付する。北小路が30貫文を奉加。
出典:『長興宿禰記』同年月日条、『山科家礼記』7月5日条、『親長卿記』6月27日条

文明9年 1477年 7月5日 
誓願寺棟上。大工に礼として50貫が渡される。公方より100貫、御台所100貫を渡される。諸人が群詣する。
出典:『山科家礼記』同年月日条,『親長卿記』同年月日条,『長興宿禰記』同年月日条

文明9年 1477年 8月14日 
誓願寺縁起絵を後土御門天皇が叡覧する。
出典:『実隆公記』同年月日条

文明10年 1478年 4月22日 
誓願寺近辺で観世座の勧進猿楽が催される。市ができる。
出典:『実隆公記』同年月日条

文明11年 1479年 8月26日 
誓願寺千部経法会(8/26-9/5)
誓願寺千部経法会開始。読経僧110人といわれる。甘露寺親長が誓願寺に参詣する。
出典:『親長卿記』同年月日条

永正14年 1517年 8月4日 
中御門宣胤が誓願寺法談を聴聞する。
出典:『宣胤卿記』同年月日条

永正14年 1517年 8月10日 
中御門宣胤が誓願寺法談を聴聞する。誓願寺本尊遷座の勧進として円頓戒があり、宣胤は房什僧正・恵空上人・邦諌上人より受けていたが、結縁のため再度受戒する。戒師は三福寺住持格翁(56歳。南岳大師から数えて31代)。布施を遣わす。法名は本尊の腹中に納められるという。受戒者男女2400人という。
出典:『宣胤卿記』同年月日条

永正14年 1517年 8月17日 
誓願寺で法談がある。円頓戒があり、受戒者は8/10以上であったという。
出典:『宣胤卿記』同年月日条

永正14年 1517年 8月18日 
誓願寺法談結願。申刻、いつものごとく御霊祭が行われる。近年、臨時で風流が行われることがあったので見物人が雲霞のごとく往来する
出典:『宣胤卿記』同年月日条

大永3年 1523年 9月12日 
誓願寺本願の行尊が、太田資定が和歌添削を請うていることを四条黄門から三条西実隆に伝えてもらう。
出典:『実隆公記』同年月日条

大永3年 1523年 11月27日 
誓願寺勧進聖 行尊、四条黄門が三条西実隆を訪れ、太田資定が和歌の添削を実隆に請うていることを伝える。
出典:『実隆公記』同年月日条

大永3年 1523年 11月30日 
誓願寺本願 行尊が三条西実隆のもとを訪れ下野書状を渡す。
出典:『実隆公記』同年月日条

享禄5年 1532年 2月13日 
山科言継誓願寺に参詣する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文7年 1538年 9月15日 
誓願寺が、三淵晴員を介して本願寺証如に鐘鋳勧進の奉加を募る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 9月17日 
本願寺証如に9月15日に三淵晴員を介して依頼があった誓願寺鐘鋳勧進の奉加について、以前(山科に本願寺があった頃)は「近所」であったので奉加に応じたが、現在は大坂に本願寺があり誓願寺より遠く、かつ資金難であるため奉加依頼を断る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文8年 1539年 11月10日 
誓願寺で立柱・上棟が行われる。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

天文9年 1540年 7月13日 
誓願寺の本尊の阿弥陀如来像を遷座。供養会を執り行う。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

天文9年 1540年 -月-日 
春、世上大飢饉。餓死者が多く、上京下京にて春夏中、毎日60人ばかり死者を捨てるという。誓願寺において非人施行が行われる。
出典:『厳助往年記』天文9年条

天文14年 1545年 3月26日 
誓願寺鐘鋳供養(3/26-4/7)
北野経王堂にて誓願寺の鐘を鋳る。山科言継、伯卿、薄が見物に訪れる。都鄙の貴賤男女が数えきれないほど参詣する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文14年 1545年 4月7日 
誓願寺鐘鋳供養結願。誓願寺十穀が上人号の勅許を得る。
出典:『お湯殿上の記』同年月日条

天文15年 1546年 3月-日 
誓願寺で棟上が行われる。
出典:『厳助大僧正記』同年月条

天文19年 1550年 1月14日 
誓願寺西堂が扇を蜷川親俊に贈る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

永禄8年 1565年 12月24日 
誓願寺長老が矢島(近江国)にいる一乗院覚慶のもとに赴く。
出典:『言継卿記』同年月25日条

永禄12年 1569年 3月3日 
丹羽長秀が、誓願寺織田信長より参銭の知行安堵を記す朱印状が発給されたことについて、長秀が取次であったことを伝える書状を発給する。
出典:(永禄12年)3月3日付丹羽長秀書状(「誓願寺文書」『織田信長文書の研究』上巻 参考p266)

天正4年 1576年 6月24日 
寅刻(3-5時)、葉室頼房山科言経、薄以継の伯父)が死去する。
言経、薄以継冷泉為純誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正4年 1576年 6月27日 
誓願寺山科言経冷泉為純が参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正4年 1576年 7月24日 
葉室頼房の忌日として、山科言経誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月16日 
誓願寺西堂が香衣勅許の礼として参内し鐚銭4貫を禁裏に進上する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 2月18日 
山科言経誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 2月24日 
山科言経誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 2月27日 
山科言継誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 2月27日 
誓願寺で千部経法会を始める。
山科言継が参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 2月28日 
山科言継誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 3月6日 
誓願寺で千部経会が行われる。吉田兼見の妻が参詣する。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正7年 1579年 3月7日 
誓願寺で千部経が行われる。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正7年 1579年 6月9日 
山科言経、上田孫四郎が誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 6月12日 
山科言経誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 2月2日 
山科言経が父・言継の忌日につき花開院、誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 2月23日 
山科言経が、彼岸につき花開院に赴き、その後、誓願寺真如堂、阿弥陀寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 2月26日 
彼岸につき、山科言経誓願寺等に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 2月28日 
彼岸につき、山科言経誓願寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 3月1日 
勧修寺晴豊誓願寺御経に赴く。
出典:『晴豊記』同年月日条

天正10年 1582年 3月2日 
山科言経が父・言継の正忌につき松林院西堂、性心とともに斎をともにする。松林院西堂に50銭、性心に30銭を渡す。また、父の忌日につき花開院、誓願寺等にに参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 3月25日 
誓願寺が三条京極に移転する。本尊の阿弥陀如来が遷座する。遷座にあたって伶人・楽衆が供奉する。貴賤が群集したという。
出典:『言経卿記』同年月日条

慶長2年 1597年 3月11日 
誓願寺で供養会が執行される。導師は大覚寺空性。職衆は100口で東寺衆50口、高野衆50口。集会所は六角堂で、誓願寺まで莚道2行を敷く。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長2年 1597年 3月12日 
誓願寺の「希代之本尊」を目にするべく貴賤群集するという。
出典:『義演准后日記』同年月日条

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