宝永4年 1707年 12月-日 |
凌雲院・喜多院の住持となる。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
宝永5年 1708年 1月-日 |
僧正となる。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
宝永5年 1708年 閏1月-日 |
法勝寺の和尚を辞す。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
宝永5年 1708年 8月-日 |
延暦寺に戻る。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
宝永5年 1708年 10月-日 |
法華会の探題となる。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
宝永5年 1708年 10月-日 |
寛永寺に赴く。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
宝永5年 1708年 -月-日 |
大僧正を追贈される。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
宝永6年 1709年 1月10日 |
徳川綱吉が死去する。 |
出典:- |
宝永6年 1709年 7月3日 |
徳川家継が生まれる。 |
出典:- |
正徳1年 1711年 4月25日 |
「宝永」より「正徳」に年号が改まる。 |
出典:- |
正徳1年 1711年 12月21日 |
徳川家重が武蔵国江戸赤坂の和歌山藩邸にて生まれる。 |
出典:- |
正徳2年 1712年 10月14日 |
徳川家宣が死去する。 |
出典:- |
正徳4年 1714年 11月2日 |
柳沢吉保が死去する。 |
出典:- |
享保1年 1716年 4月30日 |
徳川家継が死去する。 |
出典:- |
享保1年 1716年 6月22日 |
「正徳」より「享保」に年号が改まる。 |
出典:- |
元文1年 1736年 4月28日 |
「享保」より「元文」に年号が改まる。 |
出典:- |
元文2年 1737年 5月22日 |
徳川家治が武蔵国江戸城西ノ丸にて生まれる。 |
出典:- |
寛保1年 1741年 2月27日 |
「元文」より「寛保」に年号が改まる。 |
出典:- |
寛保1年 1741年 -月-日 |
幕府の命により延暦寺根本中堂・文殊楼を修復する。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」「文殊楼」の項(『天台宗全書』) |
延享1年 1744年 2月21日 |
「寛保」より「延享」に年号が改まる。 |
出典:- |
寛延1年 1748年 7月12日 |
「延享」より「寛延」に年号が改まる。 |
出典:- |
寛延4年 1751年 6月20日 |
徳川吉宗が死去する。 |
出典:- |
宝暦1年 1751年 10月27日 |
「寛延」より「宝暦」に年号が改まる。 |
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宝暦3年 1753年 -月-日 |
徳川家重の命により松平安芸守に延暦寺諸堂(根本中堂・戒壇院)の修復を命じる。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』) |
宝暦11年 1761年 6月12日 |
徳川家重が死去する。 |
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明和1年 1764年 6月2日 |
「宝暦」より「明和」に年号が改まる。 |
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安永1年 1772年 11月16日 |
「明和」より「安永」に年号が改まる。 |
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安永2年 1773年 10月5日 |
徳川家斉が生まれる。 |
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天明1年 1781年 4月2日 |
「安永」より「天明」に年号が改まる。 |
出典:- |
天明6年 1786年 8月25日 |
徳川家治が死去する。 |
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