延宝1年 1673年 -月-日 |
実観が師について四度の密法を修す。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
延宝1年 1673年 -月-日 |
本照院が横川中堂修復のため黄金100両を寄進する。 |
出典:『横川堂舎並各坊世譜』「中堂」の項(『天台宗全書』) |
延宝3年 1675年 9月19日 |
立花忠茂が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第112「清和源氏 為義流 立花」「立花忠茂」 |
延宝3年 1675年 10月-日 |
実観が法華会の立者となるにおよび法曼院において伝法灌頂を受ける。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
延宝3年 1675年 11月8日 |
井上正利が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第241「井上正利」の項 |
延宝4年 1676年 7月25日 |
粟津元房が出家し少弐と改名する。 |
出典:『東本願寺家臣名簿』 |
延宝5年 1677年 -月-日 |
取次役となる。 |
出典:『東本願寺家臣名簿』 |
延宝4年 1677年 -月-日 |
暇を下される。 |
出典:『東本願寺家臣名簿』 |
延宝6年 1678年 -月-日 |
僧正となる。執行に補される。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
延宝7年 1679年 8月8日 |
毛利就隆が死去する。 |
出典:- |
延宝8年 1680年 5月8日 |
徳川家綱が死去する。 |
出典:- |
延宝8年 1680年 12月25日 |
下曽根信由が隠居する。徳川綱吉が養老料として米300俵を支給する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第149「下曽根信由」の項 |
延宝9年 1681年 3月9日 |
粟津元隅が出家し入信と名乗る。 |
出典:『東本願寺家臣名簿』 |
天和1年 1681年 9月29日 |
「延宝」より「天和」に年号が改まる。 |
出典:- |
天和1年 1681年 11月14日 |
戸田氏信が死去する。 |
出典:- |
天和2年 1682年 5月22日 |
池田光政が岡山(備前国)にて死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第263「池田光政」の項 |
天和2年 1682年 7月28日 |
能勢頼永が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第275「能勢頼永」の項 |
天和2年 1682年 -月-日 |
実観が目を煩い坊を実観に譲る。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
天和3年 1683年 1月-日 |
一運により応其座像が作成される。 |
出典:木食応其坐像墨書銘(和歌山県立博物館編『没後四〇〇年 木食応其 ―秀吉から高野山を救った僧―』2008年10月) |
天和3年 1683年 7月3日 |
松平忠輝が死去する。 |
出典:- |
天和3年 1683年 7月12日 |
下曽根信由が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第149「下曽根信由」の項 |
貞享1年 1684年 2月21日 |
「天和」より「貞享」に年号が改まる。 |
出典:- |
貞享1年 1684年 10月21日 |
徳川吉宗が紀伊国和歌山にて生まれる。 |
出典:- |
貞享2年 1685年 5月-日 |
山城国蓮華寺の住持となる。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
貞享2年 1685年 10月-日 |
法曼院において大阿闍梨となる。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
貞享3年 1686年 6月-日 |
御懺法講の賞として権大僧都となる。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』) |
貞享3年 1686年 -月-日 |
粟津元隅が大進と名乗る。 |
出典:『東本願寺家臣名簿』 |
貞享4年 1687年 2月12日 |
法橋となる。 |
出典:『東本願寺家臣名簿』 |
貞享4年 1687年 -月-日 |
横川中堂の修復がなる。 |
出典:『横川堂舎並各坊世譜』「中堂」の項(『天台宗全書』) |
元禄1年 1688年 9月30日 |
「貞享」より「元禄」に年号が改まる。 |
出典:- |