人 物 史

足利義詮 あしかが よしあきら
生 没 年元徳2年(1330)6/18-貞治6年・正平22年(1367)12/7
出 身-幼 名千寿王
別 称-
法 名-
戒 名宝篋院殿道権瑞山
足利尊氏登子(北条久時の娘)、加古基氏の娘、越前局
兄 弟 姉 妹足利竹若丸、足利直冬足利義詮足利基氏、足利鶴王
配 偶 者幸子(渋川義季の娘)、良子(善法寺通清の娘)
足利千寿王、足利義満、足利満詮、柏庭清祖、廷用宗器、宝鏡寺殿
官 位左馬頭、参議、左近衛中将、武蔵守、権大納言
役 職室町幕府 征夷大将軍
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ足利義詮の関連文化財
足利義詮 年表
元徳2年 1330年 6月18日 1歳
足利義詮が生まれる。
出典:-

元弘1年 1331年 8月9日 2歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

正慶1年 1332年 4月28日 3歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 5月22日 4歳
新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。
出典:『関城書裏書』

延元1年 1336年 2月29日 7歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元2年 1337年 12月24日 8歳
北畠顕家新田義興、北条時行が足利義詮の拠る鎌倉(相模国)を攻め、攻め落とす。義詮は京都に敗走する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 1月-日 9歳
青野原(美濃国)にて北畠顕家と土岐頼遠・上杉憲顕・今川範国・吉良満義・高師兼が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

暦応3年・興国1年 1340年 3月5日 11歳
弟・基氏が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 23歳
叔父・直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 29歳
父・尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 8月22日 29歳
子・義満が生まれる。
出典:-

延文4年・正平14年 1359年 12月20日 30歳
足利義詮が赤坂城(河内国)を攻める。城攻めの衆・細川業氏。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川業氏」の項

貞治6年・正平22年 1367年 4月26日 34歳
弟・基氏が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項

貞治6年・正平22年 1367年 11月25日 38歳
足利義詮が政務を子・義満に譲り、細川頼之を管領とする。
出典:『愚管記』同年月26日条

貞治6年・正平22年 1367年 12月7日 38歳
足利義詮が死去する。
出典:-

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