人 物 史

細川頼之 ほそかわ よりゆき
生 没 年元徳1年(1329)-明徳3年(1392)3/2
出 身-幼 名-
別 称弥九郎
法 名-
戒 名永泰院殿桂厳常久大居士
細川頼春黒沢禅尼
兄 弟 姉 妹細川頼之、細川頼元、細川頼有、細川詮春、細川満之
配 偶 者持明院保世の娘
細川頼元[養子]、細川基之[養子]
官 位武蔵守、相模守
役 職室町幕府 管領
阿波国守護、伊予国守護、備後国守護、讃岐国守護、土佐国守護
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ細川頼之の関連文化財
細川頼之 年表
元徳1年 1329年 -月-日 1歳
細川頼之が生まれる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 1歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元徳3年 1331年 4月24日 3歳
後醍醐天皇が笠置城(山城国)に行幸する。
出典:『関城書裏書』

元弘1年 1331年 8月9日 3歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 9月27日 3歳
幕府を倒幕するため挙兵した後醍醐天皇の籠る笠置城(山城国)を攻めるため幕府軍が発向する。
出典:『関城書裏書』

元弘2年 1332年 3月7日 4歳
後醍醐天皇が配所・隠岐国に赴くべく、京都を出立する。千葉五郎左衛門・佐々木備中判官が道中を警固する。
出典:『関城書裏書』

正慶1年 1332年 4月28日 4歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 5歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 4月27日 5歳
足利高氏が船上山(伯耆国)で挙兵した後醍醐天皇を討つため京都を発つ。篠村(丹波国)に陣を張る。これより幕府を裏切り後醍醐天皇方となる。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月22日 5歳
新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。
出典:『関城書裏書』

元弘3年 1333年 6月7日 5歳
後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』

建武2年 1335年 7月-日 7歳
信濃国で蜂起した北条時行が鎌倉(相模国)に攻め込む。成良親王足利直義は応戦するも支えきれず鎌倉を退く。成良親王は大江時古に抱えらえ帰洛する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武2年 1335年 8月2日 7歳
北条時行に攻められた足利直義を救うため足利尊氏が出京する。近江国野路に到着する。
出典:『関城書裏書』、足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月17日 7歳
箱根(相模国)にて足利尊氏と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月18日 7歳
相模川の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月19日 7歳
足利尊氏が鎌倉(相模国)に到着する。辻堂・片瀬原の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 12月13日 7歳
箱根・竹ノ下の合戦で足利尊氏と尊良親王・新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武3年 1336年 2月13日 8歳
桜山にて足利尊氏足利直義兄弟と新田義貞北畠顕家楠木正成が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 8歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元1年 1336年 5月25日 8歳
湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。
出典:-

延元1年 1336年 5月27日 8歳
後醍醐天皇延暦寺に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元1年 1336年 6月-日 8歳
足利尊氏延暦寺に籠る後醍醐天皇を攻める。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 10月10日 8歳
後醍醐天皇延暦寺より京都に還幸する。帝位を恒良親王に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

暦応2年・延元4年 1339年 8月16日 11歳
後醍醐天皇が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞和4年・正平3年 1348年 1月5日 20歳
四条畷(河内国)にて高師直と楠木正行が戦い、師直が勝利する。正行・正時兄弟が戦死する。
出典:-

貞和5年・正平4年 1349年 8月24日 21歳
足利直義が高師直により出家・隠居させられる。直義は恵源と名乗る。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応1年 1350年 12月9日 22歳
足利直義が南朝に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 7月30日 23歳
足利直義が京を抜け北陸に落ちる。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 12月15日 23歳
薩唾山の合戦で足利尊氏足利直義が戦い尊氏が勝利する。直義は尊氏に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 24歳
足利直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 閏2月20日 24歳
四条大宮(山城国)にて細川頼春と楠木正儀・和田正武・千種顕経・北畠顕能が戦い、父・頼春が戦死する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川頼春」の項

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 30歳
足利尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 8月22日 30歳
足利義満が生まれる。
出典:-

貞治1年・正平17年 1362年 7月24日 34歳
細川清氏が死去する。
出典:-

貞治6年・正平22年 1367年 4月26日 35歳
足利基氏が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項

貞治6年・正平22年 1367年 9月7日 39歳
「中国大将」細川頼之が大軍を率い上洛し嵯峨(山城国)に陣取る。
出典:『師守記』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 9月14日 39歳
「中国大将」細川頼之が嵯峨(山城国)より六角万里小路に移る。
出典:『師守記』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 9月9日 39歳
細川頼之が「武家執事」として上洛したと噂される。また、頼之の上洛を受け、山名時氏が不満を募らせており、いずれ「天下之乱」が生じるのではと世間で噂される。
出典:『後愚昧記』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 11月25日 39歳
足利義詮が政務を子・義満に譲り、細川頼之を管領とする。
出典:『愚管記』同年月26日条

貞治6年・正平22年 1367年 12月7日 39歳
足利義詮が死去する。
出典:-

正平23年 1368年 3月11日 40歳
後村上天皇が崩御する。
出典:-

応安1年・正平23年 1368年 4月15日 40歳
足利義満が元服する。理髪役は細川業氏。
出典:『愚管記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川業氏」の項

応安1年・正平23年 1368年 4月15日 40歳
細川頼之が武蔵守となる。
出典:『愚管記』同年月日条

応安1年・正平23年 1368年 6月23日 40歳
足利義満の名代として細川頼之が石清水八幡宮に参詣する。
出典:『石清水八幡宮記録』

応安2年・正平24年 1369年 4月2日 41歳
楠木正儀が上洛する。夜、正儀が細川頼之と対面する。
出典:『花営三代記』同年月日条

応安2年・正平24年 1369年 4月3日 41歳
夜、楠木正儀足利義満と対面する。
出典:『花営三代記』同年月日条

応安3年・建徳1年 1370年 7月24日 42歳
「正平」より「建徳」に南朝の年号が改まる。
出典:-

応安3年・建徳1年 1370年 11月29日 42歳
石清水八幡宮の神輿が帰座する。この神輿帰座を契機に、細川頼之と土岐頼康の私戦が行われるのでは噂されるが、合戦が起きず。
出典:『後愚昧記』同年月日条

応安3年・建徳1年 1370年 12月15日 42歳
土岐頼康が京都より尾張国に下向する。
出典:『後愚昧記』同年月日条、『花営三代記』同年月日条

応安4年・建徳2年 1371年 4月1日 43歳
細川頼之が子息を南朝に送っている土佐国人・佐川氏を討つべく、佐川氏の居住している智恵光院に自身の被官軍勢と侍所の軍勢を派遣し、佐川氏を討つ。
出典:『後愚昧記』同年月日条、『花営三代記』同年月日条

応安5年・文中1年 1372年 9月26日 44歳
細川頼之が管領の職を辞し、四国に下向せんとする。足利義満が頼之を説得し、頼之に管領職辞退を止める。
出典:『愚管記』同年月日条

応安6年・文中2年 1373年 8月25日 45歳
佐々木道誉が死去する。
出典:-

応安6年・文中2年 1373年 11月16日 45歳
菊池武光が死去する。
出典:-

永和4年・天授4年 1378年 -月-日 50歳
甥・満元が生まれる。
出典:-

康暦1年 1379年 3月22日 51歳
「永和」より「康暦」に北朝の年号が改まる。
出典:-

嘉慶1年・元中4年 1387年 8月2日 59歳
「至徳」より「嘉慶」に北朝の年号が改まる。
出典:-

明徳2年・元中8年 1391年 12月30日 63歳
内野(山城国)にて山名満幸・山名氏清足利義満が戦い、義満が勝利する。氏清が戦死する。
出典:-

明徳3年 1392年 3月2日 64歳
細川頼之が死去する。
出典:『高野山過去帳』、『大乗院日記目録』同年月日条、『執事補任次第』

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