人 物 史

熊谷直続 くまがい なおつぐ
生 没 年永正7年(1510)-天文11年(1542)6/7
出 身-幼 名-
別 称平三
法 名-
戒 名-
熊谷元直-
兄 弟 姉 妹熊谷信直熊谷直続、女(武田光和の妻、三須房清の妻)
配 偶 者-
娘(熊谷直清の妻)、熊谷直清[養子]
官 位-
役 職-
城 郭三入観音寺山城(安芸国)
参 考 文 献熊谷直続に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
熊谷直続 年表
永正7年 1510年 -月-日 1歳
熊谷直続が生まれる。
出典:-

永正14年 1517年 10月22日 8歳
有田(安芸国)にて武田元繁毛利元就が戦い、元繁が戦死し、元就が勝利する。武田方は、父・元直が戦死する。
出典:『陰徳太平記』巻3「有田合戦付元繁戦死之事」

大永1年 1521年 8月23日 12歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 19歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 12月20日 19歳
大内義興が死去する。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 23歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文11年 1542年 1月12日 33歳
大内義隆月山富田城(出雲国)の尼子晴久を攻めるべく、山口(周防国)を出陣する。
出典:『陰徳太平記』巻13「尼子経久逝去並ニ大内義隆雲州発向之事」

天文11年 1542年 2月-日 33歳
大内義隆尼子晴久を攻めるべく出雲国に向けて出陣する。陶隆房、内藤興盛、毛利元就等が参加する。新庄西禅寺に大内勢が陣取る。
出典:『江濃記』「京極生害之事」、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)

天文11年 1542年 6月7日 33歳
熊谷直続が赤穴(出雲国)を放火する。直続の放火に対し、赤穴城(出雲国)に籠る赤穴光清が城より出て直続と戦い、直続が戦死する。
出典:『陰徳太平記』巻第13「熊谷平三郎直続戦死之事」

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.