人 物 史

黒田職隆 くろだ もとたか
生 没 年大永4年(1524)-天正13年(1585)8/22
出 身備前国福岡幼 名-
別 称甚四郎、小寺満隆、小寺職隆、小寺宗円、識隆
法 名休夢
戒 名心光院殿満誉宗円大居士
黒田重隆妻鹿氏の娘
兄 弟 姉 妹黒田職隆、黒田高友、井手友氏、松井重孝
配 偶 者明石正風の娘、神吉氏の娘、母里氏の娘
黒田孝高黒田利高、黒田利則、黒田直之、香山妙春(三木清閑の妻)、虎(妙円尼、尾上武則の妻)、心誉春勢(一柳直末の妻、伊藤是庵の妻)、娘(浦上清宗の妻)
官 位美濃守、兵庫助
役 職-
城 郭姫路城(播磨国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ黒田職隆の関連文化財
史料にみえる黒田職隆の呼称
黒田職隆 年表
大永4年 1524年 -月-日 1歳
黒田職隆が備前国邑久郡福岡にて生まれる。
出典:『黒田家譜』巻1「職隆記」

大永4年 1524年 -月-日 1歳
黒田職隆が生まれる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 5歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 9歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文23年 1554年 -月-日 31歳
子・利高が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 32歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 35歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄7年 1564年 1月11日 41歳
浦上政宗が室山城(播磨国)で黒田職隆の娘と婚礼をする。当日、赤松政秀の襲撃を受け死去する。
出典:-

永禄12年 1569年 -月-日 46歳
青山にて赤松政秀と黒田職隆孝高父子が戦い、黒田家が勝利する。
出典:『黒田家譜』巻1「孝高記」

元亀1年 1570年 4月23日 47歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 50歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正6年 1578年 4月2日 55歳
別府・阿閉(播磨国)にて雑賀衆・毛利勢と黒田孝高が戦い、孝高が勝利する。
出典:『黒田家譜』巻1「孝高記」

天正6年 1578年 11月11日 55歳
羽柴秀吉黒田職隆に、11月10日、織田信長荒木村重討伐につき高槻(摂津国)に到着したこと、高槻城(摂津国)を包囲したところ城主の高山重友が信長に降伏したこと、滝川一益稲葉良通安藤守就氏家直昌・武藤が郡山(摂津国)に陣取り砦を築くことになったこと、職隆が村重に与同せず信長に逆らわなかったことは竹中重治より聞いたので秀吉より信長に伝えたところ信長は喜んでいたことを伝える。
出典:(天正6年)11月11日付羽柴秀吉書状(『姫路市史 史料編1』「黒田家文書」4号)

天正8年 1580年 1月17日 57歳
申刻(15-17時)、三木城(播磨国)にて別所長治別所友之が切腹する。三木城が羽柴秀吉の手に落ちる。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」、『天正記』「播磨別所記」、『豊臣記』

天正13年 1585年 8月22日 62歳
黒田職隆が姫路(播磨国)にて死去する。
出典:『黒田家譜』巻1「職隆記」・巻2「孝高記」

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