人 物 史

別所友之 べっしょ ともゆき
生 没 年永禄3年(1560)-天正8年(1580)1/17
出 身-幼 名-
別 称彦進
法 名-
戒 名-
別所安治-
兄 弟 姉 妹別所長治別所友之、別所治定
配 偶 者-
-
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ別所友之の関連文化財
別所友之 年表
永禄3年 1560年 -月-日 1歳
別所友之が生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 11歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 14歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正3年 1575年 10月20日 16歳
赤松義祐小寺政職別所長治等が上洛し織田信長のもとに礼に訪れる。
出典:『信長公記』巻8(7)「越前御進発、賀越両国仰付けらるゝの事」

天正6年 1578年 3月7日 19歳
羽柴秀吉が姫路(播磨国)に到着する。
秀吉の姫路着陣を受け、別所賀相が秀吉を警戒し、別所長治に織田家を叛くよう勧め、長治は織田家に叛き三木城(播磨国)に籠城する。
出典:『天正記』「播磨別所記」

天正6年 1578年 3月29日 19歳
羽柴秀吉別所長治の籠る三木城(播磨国)を攻める。
出典:『黒田家譜』巻1「孝高記」、『豊臣記』

天正6年 1578年 7月-日 19歳
織田信長勢が別所長治の籠る居城・三木城(播磨国)を包囲すべく付城を築く。
出典:『信長公記』巻11(8)「播磨神吉城攻の事」

天正7年 1579年 9月10日 20歳
大村の合戦で、羽柴秀吉別所長治が戦う。長治は谷大膳が籠る羽柴方の付城を一度は落とすも、秀吉が別所甚太夫・別所三太夫・別所左近将監・光枝小太郎・光枝道夕・櫛橋弥五郎・高橋平左衛門・三宅与兵次・小野権左衛門・砥堀孫太夫を討ち取る。
出典:『天正記』「播磨別所記」

天正7年 1579年 11月20日 20歳
荒木村重有岡城(摂津国)が開城し、織田信長に渡される。
出典:『多聞院日記』同年月22日条

天正8年 1580年 1月6日 21歳
羽柴秀吉別所長治の籠る三木城(播磨国)の宮の上構を攻め落とす。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」

天正8年 1580年 1月11日 21歳
羽柴秀吉が別所吉親の籠る鷹尾城(播磨国)を攻め落とす。三木城(播磨国)の本丸より火が出る。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」

天正8年 1580年 1月15日 21歳
羽柴秀吉に兵糧攻めを受けている三木城(播磨国)の別所長治が、自身と別所賀相・別所友之の自害を条件に籠城している兵卒の助命を、書状をもって浅野長政・別所重棟に伝え、秀吉に請う。秀吉は長治の請いを受け入れる。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」、『天正記』「播磨別所記」

天正8年 1580年 1月17日 21歳
申刻(15-17時)、三木城(播磨国)にて別所長治別所友之が切腹する。三木城が羽柴秀吉の手に落ちる。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」、『天正記』「播磨別所記」、『豊臣記』

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