和暦 |
西暦 |
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年齢 |
事項 |
出典 |
- | - | - | - | - | 高畠長信が生まれる。 | - |
天文1年 | 1532 | 8 | 28 | - | 山村正次が粟田口惣庄(山城国)に対し、山科本願寺敵対につき同庄内の本願寺領は闕所地となったが、高畠長信の命により正次に給付されることになったので、他の妨げがあった場合は、正次のもとに報告するよう伝える。 | 『経厚法印日記』同年月日条 |
天文1年 | 1532 | 10 | 13 | - | 大谷道場下地について柳本源七郎に給付することになっているのに山村正次が違乱していることについて、高畠長信が山村新兵衛に違乱を停止するよう伝える。 | 『経厚法印日記』同年月日条 |
天文2年 | 1533 | 9 | 16 | - | 粟田宮領田地等について山村正次の押妨を停止する室町幕府奉行人奉書が高畠長信に発給される。署名は、飯尾貞広、飯尾為完。 | 『兼右卿記』同年月18日条(『ビブリア』152号) |
天文2年 | 1533 | 9 | 18 | - | 粟田宮領田地等について山村正次の押妨を停止する16日付で高畠長信宛の室町幕府奉行人奉書について、その内容を長信が承知する。 | 『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号) |
天文7年 | 1538 | 10 | 15 | - | 三好政長、高畠長信、高畠長直が杉坂に現れた敵勢と戦い勝利する。 | 『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文18年 | 1549 | 6 | 24 | - | 十河一存が単独で細川晴元の居所である三宅城(摂津国)を攻撃する。一存の三宅城攻撃を受けてもなお三好長慶は細川晴元との戦いは避け、三好宗三の籠る江口城を攻撃し、落とす。この戦いで宗三、高畠長直、高畠長信が戦死する。晴元は政長の敗報を受け嵯峨(山城国)に逃れる。 | 『私心記』同年同月条、『足利季世記』巻4「江口城攻落シ宗三打死ノ事」、『厳助大僧正記』同年同月条(『史籍集覧』25 近代デジタルライブラリー コマ番号178-208)、 |