人 物 史

畠山政長 はたけやま まさなが
生 没 年嘉吉2年(1442)-明応2年(1493)閏4/25
出 身-幼 名-
別 称次郎
法 名-
戒 名実隆寺殿
畠山持富-
兄 弟 姉 妹畠山政久、畠山政長
配 偶 者京極持清の娘
畠山尚順
官 位左衛門督、尾張守、弾正少弼、左衛門督
役 職室町幕府 管領
河内国守護、紀伊国守護、越中国守護、山城国守護
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ畠山政長の関連文化財
畠山政長 年表
嘉吉2年 1442年 -月-日 1歳
畠山政長が生まれる。
出典:-

文安1年 1444年 2月5日 3歳
「嘉吉」より「文安」に年号が改まる。
出典:-

宝徳1年 1449年 7月28日 8歳
「文安」より「宝徳」に年号が改まる。
出典:-

享徳1年 1452年 7月25日 11歳
「宝徳」より「享徳」に年号が改まる。
出典:-

享徳3年 1454年 4月-日 13歳
畠山持国が養子・政長を追放し、実子・義就を家督と定め、政長追伐の御教書を請う。
出典:『応仁前記』巻之上

康正1年 1455年 7月25日 14歳
「享徳」より「康正」に年号が改まる。
出典:-

康正1年 1455年 8月21日 14歳
畠山持国が養子・政長と実子・義就の家督争いにつき、自邸を焼く。
出典:『応仁前記』巻之上

康正1年 1455年 8月28日 14歳
畠山持国が病により建仁寺西来院(山城国)に蟄居する。
出典:『応仁前記』巻之上

長禄1年 1457年 9月28日 16歳
「康正」より「長禄」に年号が改まる。
出典:-

寛正1年 1460年 12月21日 19歳
「長禄」より「寛正」に年号が改まる。
出典:-

文正1年 1466年 2月28日 25歳
「寛正」より「文正」に年号が改まる。
出典:-

文正2年 1467年 1月16日 26歳
細川勝元足利義政より畠山政長への合力はしないようにと命じられ、合力を止める。
出典:『後法興院政家記』同年月日条

文正2年 1467年 1月18日 26歳
畠山義就畠山政長が上御霊神社にて戦う。
出典:『後法興院政家記』同年月日条

応仁1年 1467年 3月5日 26歳
「文正」より「応仁」に年号が改まる。
出典:-

文明1年 1469年 4月28日 28歳
「応仁」より「文明」に年号が改まる。
出典:-

文明5年 1473年 12月19日 32歳
足利義尚が征夷大将軍となる。
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年)

文明6年 1474年 3月20日 33歳
足利義尚・日野富子が小川に新造した御所に移る。猿楽が催される。
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年)

文明6年 1474年 4月3日 33歳
細川政元と山名政豊が和睦する。
出典:『東寺執行日記』同年月日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

文明6年 1474年 7月1日 33歳
山名政豊勢が二条大宮、岩神神社、猪熊・堀川の在家3,4町分を放火する。
出典:『東寺執行日記』同年月日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

文明6年 1474年 7月2日 33歳
畠山政長勢が三条坊門、猪熊、堀川、油小路を放火する。
出典:『東寺執行日記』同年月日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

文明6年 1474年 7月7日 33歳
大内政弘が四条坊門大宮の本能寺より猪熊、堀川、油小路辺りに陣取る。畠山義就が大宮二条から三条にかけて陣取る。
出典:『東寺執行日記』同年月日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

文明6年 1474年 7月12日 33歳
西軍が足軽を出し三条坊門、油小路西面を放火する。東軍は土岐成頼の館等を放火する。
出典:『親長卿記』同年月日条(増補史料大成刊行会編『増補史料大成 親長卿記一』臨川書店、1975年)、『東寺執行日記』同年月13日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

文明6年 1474年 7月26日 33歳
北野南ノ木戸口にて畠山義就勢と山名政豊勢が戦い、政豊勢が勝利する。義就勢の遊佐弥六が討死する。
出典:『親長卿記』同年月日条(増補史料大成刊行会編『増補史料大成 親長卿記一』臨川書店、1975年)、『東寺執行日記』同年月日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

文明6年 1474年 8月12日 33歳
申刻、六角政堯勢として伊庭氏勢1000が上洛する。
出典:『東寺執行日記』同年月日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

文明6年 1474年 8月18日 33歳
西軍が太秦、西院、西京、梅津を放火する。
出典:『東寺執行日記』同年月日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

文明6年 1474年 8月25日 33歳
土岐成頼勢が上洛する。
出典:『東寺執行日記』同年月日条(『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年))

長享1年 1487年 7月20日 46歳
「文明」より「長享」に年号が改まる。
出典:-

延徳1年 1489年 8月21日 48歳
「長享」より「延徳」に年号が改まる。
出典:-

明応1年 1492年 7月19日 51歳
「延徳」より「明応」に年号が改まる。
出典:-

明応2年 1493年 4月22日 52歳
細川政元香厳院清晃を将軍に擁立する。
出典:『言国卿記』同年月日条

明応2年 1493年 閏4月25日 52歳
細川政元畠山政長を正覚寺城(河内国)に追い詰め自害させる。
出典:『瓦林政頼記』同年月日条

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