寺 院 史

建仁寺(山城国) けんにんじ
本 尊釈迦如来
創 建建仁2年 1202年
開 基栄西
山 号東山
宗 派臨済宗 建仁寺派
別 称一華院 雲龍院 永源庵 華渓庵 嘉隠軒 海雲院 久昌院 給孤庵 玉璋軒 慶光庵 五葉庵 高昌軒 光沢庵 廣沢庵 広燈庵 興雲庵 興善院 興禅護国院 十如院 従龍軒 春松軒 正受院 正伝院 祥雲院 定慧院 常光院 常照院 常楽庵 新豊庵 瑞応庵 瑞慶庵 瑞光庵 瑞勝院 隨心院 西来院 棲芳院 清住院 石頭庵 禅居庵 続翠軒 堆雲軒 大昌庵 大中院 大統院 大龍庵 知足院 長慶院 珍皇院 天潤庵 洞春庵 如是院 普光院 福聚院 保寧院 宝徳院 宝福寺 妙喜庵 妙徳院 無量寿院 養浩庵 両足院 霊雲院 霊源院 霊泉院 霊洞院
関連宗教施設-
現 所 在 地〒605-0811
京都府東山区小松町
旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク-
建仁寺(山城国) 年表
宝治1年 1247年 8月-日 
清水坂、六波羅蜜寺の門・鎮守社、建仁寺が焼失する。
出典:『歴代編年集成』同年月条

康正1年 1455年 8月28日 
畠山持国が病により建仁寺西来院(山城国)に蟄居する。
出典:『応仁前記』巻之上

天文2年 1533年 4月12日 
建仁寺(山城国)にて秉払が行われる。ただし僧衆は30人程。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号

天文2年 1533年 8月29日 
山科言継のもとに建仁寺光明院(山城国)が訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文3年 1534年 8月28日 
足利義晴の命により、芥川山城(摂津国)にいた細川晴元が、軍勢3000を率い、亥刻(21-23時)、上洛する。晴元に内藤、香西元成が随従する。晴元は四条橋を通り建仁寺(山城国)に寄宿する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天文4年 1535年 9月28日 
細川晴元建仁寺(山城国)に入る。
出典:『祇園執行日記』同年月日条

天文11年 1542年 9月24日 
伊勢貞孝建仁寺十如院の死去につき弔いに赴く。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

慶長2年 1597年 9月19日 
善光寺如来堂前で開催予定の朝鮮出兵戦死者を弔う大施食を執行の件につき、南禅寺(山城国)、天龍寺(山城国)、建仁寺(山城国)、東福寺(山城国)に僧衆を出仕させるよう西笑承兌が触状を出す。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

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