人 物 史

源頼政 みなもとのよりまさ
生 没 年康和3年(1104)-治承4年(1180)5/26
出 身-幼 名-
別 称-
法 名真蓮、頼円
戒 名-
源仲政藤原友実の娘
兄 弟 姉 妹源頼政、源頼行、源泰政、良智、乗智、女(藤原経正の妻)
配 偶 者源斉頼の娘、菖蒲御前
源仲綱、源国政、源兼綱、源頼兼、源広綱、源仲家、源宗頼、源政綱、娘(藤原重頼の妻)、娘(藤原隆保の妻)、娘(藤原憲定の妻)、娘(村上経業の妻)
官 位蔵人、右京権大夫、兵庫頭、伊豆守、備後権守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ源頼政の関連文化財
源頼政 年表
長治1年 1104年 -月-日 1歳
源頼政が生まれる。
出典:-

長治1年 1104年 2月10日 1歳
「康和」より「長治」に年号が改まる。
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嘉承1年 1106年 4月9日 3歳
「長治」より「嘉承」に年号が改まる。
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天仁1年 1108年 8月3日 5歳
「嘉承」より「天仁」に年号が改まる。
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天永1年 1110年 7月13日 7歳
「天仁」より「天永」に年号が改まる。
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永久1年 1113年 7月13日 10歳
「天永」より「永久」に年号が改まる。
出典:-

元永1年 1118年 4月3日 15歳
「永久」より「元永」に年号が改まる。
出典:-

保安1年 1120年 4月10日 17歳
「元永」より「保安」に年号が改まる。
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天治1年 1124年 4月3日 21歳
「保安」より「天治」に年号が改まる。
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大治1年 1126年 1月22日 23歳
「天治」より「大治」に年号が改まる。
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天承1年 1131年 1月29日 28歳
「大治」より「天承」に年号が改まる。
出典:-

長承1年 1132年 8月11日 29歳
「天承」より「長承」に年号が改まる。
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保延1年 1135年 4月27日 32歳
「長承」より「保延」に年号が改まる。
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永治1年 1141年 7月10日 38歳
「保延」より「永治」に年号が改まる。
出典:-

康治1年 1142年 4月28日 39歳
「永治」より「康治」に年号が改まる。
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天養1年 1144年 2月23日 41歳
「康治」より「天養」に年号が改まる。
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久安1年 1145年 7月22日 42歳
「天養」より「久安」に年号が改まる。
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仁平1年 1151年 1月26日 48歳
「久安」より「仁平」に年号が改まる。
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久寿1年 1154年 10月28日 51歳
「仁平」より「久寿」に年号が改まる。
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保元1年 1156年 4月27日 53歳
「久寿」より「保元」に年号が改まる。
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平治1年 1159年 4月20日 56歳
「保元」より「平治」に年号が改まる。
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永暦1年 1160年 1月10日 57歳
「平治」より「永暦」に年号が改まる。
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応保1年 1161年 9月4日 58歳
「永暦」より「応保」に年号が改まる。
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長寛1年 1163年 3月29日 60歳
「応保」より「長寛」に年号が改まる。
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永万1年 1165年 6月5日 62歳
「長寛」より「永万」に年号が改まる。
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仁安1年 1166年 8月27日 63歳
「永万」より「仁安」に年号が改まる。
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嘉応1年 1169年 4月8日 66歳
「仁安」より「嘉応」に年号が改まる。
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承安1年 1171年 4月21日 68歳
「嘉応」より「承安」に年号が改まる。
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安元1年 1175年 7月28日 72歳
「承安」より「安元」に年号が改まる。
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治承1年 1177年 8月4日 74歳
「安元」より「治承」に年号が改まる。
出典:-

治承4年 1180年 4月9日 77歳
源頼政が、平清盛を討つため、子・源仲綱を以仁王のもとに遣わし、平家討滅の企てに誘う。以仁王はその企てにのり令旨を源氏に下す。源頼朝への令旨は源行家に託し遣わす。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 4月27日 77歳
以仁王の令旨が北条館(伊豆国)にいる源頼朝のもとに届く。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月10日 77歳
下川辺庄司行平源頼朝のもとに源頼政挙兵のことを告げる。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月15日 77歳
以仁王の平家追討の令旨が平氏に露見。以仁王を土佐国に配流する宣旨が下る。検非違使の源兼綱・源光長が以仁王のいる高倉御所に派遣される。事前に追捕の動きを知った源頼政以仁王にその旨を伝える。以仁王は高倉御所から逃れ三井寺に向かう。高倉御所では長谷部信連が検非違使と交戦し光長の郎党5、6名が負傷する。
出典:『吾妻鏡』同年月日条・5月19日条

治承4年 1180年 5月16日 77歳
以仁王のいた高倉御所が検非違使によって包囲される。検非違使の勢は建物の天井を破り、板敷を外すなどして以仁王を捜索するが見当たらず。以仁王の子息が八条院にいたので平頼盛が精兵を率い八条御所に向かい以仁王子息を生捕り六波羅に帰還する。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月19日 77歳
以仁王三井寺衆徒の援助を受け、同寺法輪院に御所を構える。
源頼政が近衛河原の自邸を自焼し、一族郎党を引き連れ三井寺に向かい以仁王と合流する。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月21日 77歳
5月23日に平宗盛・平頼盛・平教盛・平知盛平維盛・平資盛・平清経・平重衡を大将として園城寺を攻めることが勅定により決定する。
出典:『玉海』同年月日条

治承4年 1180年 5月23日 77歳
三井寺衆徒が城を構え、堀を深くするなど防備を固める。また平家追討について以仁王と三井寺衆徒が詮議する。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月24日 77歳
源頼政が中山堂と山庄を焼く。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月26日 77歳
以仁王源頼政が籠る三井寺に兵が集まらなかったため、両人は南都を頼むべく三井寺を出る。平知盛平維盛以仁王源頼政を追撃し、宇治(山城国)にて合戦となり、光明山鳥居前にて以仁王源頼政が戦死する。頼政の首はさらされるが、本人ではないとの噂が流れる。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

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