歴史の目的をめぐって
TОP
歴史
人 物 史
城 郭 史
寺 院 史
神 社 史
地 名
総 年 表
資料
文化財
商用利用可能 文化財画像
書籍
コンテンツ
和暦西暦変換
中世貨幣の価値
年齢計算
誕生年計算
寛政重修諸家譜 索引(製作中)
史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
城 郭 史
馬ヶ嶽城(豊前国)
うまがだけじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
-
別 称
馬ヶ岳城、大谷城
現 所 在 地
〒824-0045
福岡県行橋市大谷
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
黒田孝高
馬ヶ嶽城(豊前国) 年表
永禄11年 1568年 11月5日
吉川元春
、
小早川隆景
が長野兵部太輔の籠る三ツ嶽城(豊前国)を攻め、同城を落とす。
出典:『陰徳記』巻42「豊前国三ツ嶽没落之事」
天正15年 1587年 7月3日
豊臣秀吉
が
小倉城
(豊前国)を発ち、下関(長門国)に到着する。
秀吉が
黒田孝高
に豊前国京都郡・築城郡・中津郡・上毛郡・
下毛郡
・宇佐郡を、
毛利高政
に豊前国
規矩郡
・田河郡を給付する。
孝高は
馬ヶ嶽城
(豊前国)に入城する。
出典:『黒田家譜』巻4「孝高記」
慶長5年 1600年 9月9日
辰刻(7-9時)、
黒田如水
が豊後国に攻め入るべく
中津城
(豊前国)より出陣する。備一番は
母里友信
、二番は黒田直之、三番は
栗山利安
・黒田五郎右衛門、四番は
井上之房
、五番は野村市右衛門・後藤左門、六番は母里与三兵衛・時枝平大夫、七番は久野次左衛門・曽我部五右衛門・池田九郎兵衛・黒田安大夫の総勢9000余。中津城には黒田利則を、感田城(豊前国)には衣笠景延・高橋彦次郎を、
馬ヶ嶽城
(豊前国)には桐山信行・宮崎助大夫をを置く。如水勢は高森城にて一宿する。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」
城郭リストに戻る
Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.