城 郭 史

小倉城(豊前国) こくらじょう
築 城 年-
築 城 者-
改 築 年-
改 築 者-
廃 城 年慶応2年 1866年
別 称勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城
現 所 在 地〒803-0813
福岡県北九州市小倉北区城内2-1
史 料 地 名-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ小倉城(豊前国)の関連文化財
リ ン ク高橋鑑種細川忠興小笠原忠真
小倉城(豊前国) 年表
天正7年 1579年 4月24日 
高橋鑑種が死去する。
出典:-

天正14年 1586年 10月4日 
毛利輝元高橋元種が籠る小倉城(豊前国)を包囲する。元種は降伏する。
出典:(天正14年)10月14日付羽柴秀吉書状(『吉川家文書』1-99号)

天正14年 1586年 11月15日 
吉川元春が小倉(豊前国)にて死去する。
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」

天正15年 1587年 7月2日 
豊臣秀吉が宗像(筑前国)を発ち、小倉城(豊前国)に到着する。
出典:『黒田家譜』巻4「孝高記」

天正15年 1587年 7月3日 
豊臣秀吉小倉城(豊前国)を発ち、下関(長門国)に到着する。
秀吉が黒田孝高に豊前国京都郡・築城郡・中津郡・上毛郡・下毛郡・宇佐郡を、毛利高政に豊前国規矩郡・田河郡を給付する。
孝高は馬ヶ嶽城(豊前国)に入城する。
出典:『黒田家譜』巻4「孝高記」

天正20年 1592年 4月19日 
豊臣秀吉が埴生(長門国)を発ち、関門海峡を通過し、小倉城(豊前国)に宿泊する。
秀吉が島津義弘に朝鮮への渡海時は、紀伊国警固船・藤堂高虎九鬼嘉隆脇坂安治加藤嘉明・備前国警固船にも出陣を命じたので、彼等と相談し渡海するよう命じる。
出典:(天正20年)4月19日付豊臣秀吉朱印状(『島津家文書』1-386号)、『太閤さま軍記のうち』

慶長5年 1600年 -月-日 
黒田如水が毛利勝信の居城・小倉城(豊前国)を攻め落とす。
出典:『関原始末記』

慶長7年 1602年 11月-日 
細川忠興が新造の小倉城(豊前国)に移る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠興」の項

慶長18年 1613年 11月28日 
細川忠興が江戸(武蔵国)に向かうべく小倉(豊前国)を出立する。
出典:『細川家記』13「忠興」7

慶長19年 1614年 12月29日 
細川勢が小倉(豊前国)を出立し、門司(豊前国)に到着する。門司に到着した細川勢のもとに細川忠利より同勢へ徳川家と豊臣家の間で和睦が成立したので、帰陣するようにとの命がある。細川勢は当地より帰陣する。
出典:『綿考輯録』巻19

寛永9年 1632年 10月4日 
細川忠利小倉(豊前国)より熊本(肥後国)540000石に移封となる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠利」の項

寛永9年 1632年 10月11日 
小笠原忠真が明石(播磨国)より小倉(豊前国)150000石に、小笠原長次龍野(播磨国)より中津(豊前国)80000石に、小笠原忠知が杵築(豊後国)40000石に移封となる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠真」、同巻第189「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長次」の項、同巻第190「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠知」

寛永9年 1632年 10月28日 
細川忠利小倉(豊前国)より熊本(肥後国)に移封となるにおよび細川三斎八代城(肥後国)に入る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠興」の項

寛永14年 1637年 11月14日 
小笠原忠真が島原(肥前国)で蜂起した一揆鎮圧のため、小倉(豊前国)に向け江戸(武蔵国)を発す。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠真」の項

寛永15年 1638年 2月27日 
幕府軍の内、鍋島勝茂が抜け駆けし天草時貞率いる一揆勢が籠る原城(肥前国)を攻める。細川忠利・光尚が三ノ丸を、小笠原忠真が二ノ丸を、小笠原長次が本丸を攻める。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「細川忠利」・「細川光尚」の項、『同』巻第188「小笠原忠真」の項、『同』巻第256「松平信綱」の項

寛永15年 1638年 2月28日 
幕府軍が天草時貞率いる一揆勢が籠る原城(肥前国)の本丸を惣攻めする。細川忠利勢の陣佐左衛門が天草時貞を討ち取る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「細川忠利」の項、『同』巻第256「松平信綱」の項

寛永15年 1638年 4月3日 
松平信綱・戸田氏鉄、上使・太田資宗が松倉勝家・重頼父子、寺沢堅高を小倉城(豊前国)に召し寄せ、所領改易を伝え、勝家は森長継に、重頼は生駒高俊に身柄を預ける。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項

寛文7年 1667年 10月18日 
小笠原忠真小倉(豊前国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠真」の項

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