城 郭 史

鹿児島城(薩摩国) かごしまじょう
築 城 年-
築 城 者-
改 築 年-
改 築 者-
廃 城 年-
別 称鶴丸城
現 所 在 地〒892-0853
鹿児島県鹿児島市城山町7−2
史 料 地 名-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ鹿児島城(薩摩国)の関連文化財
リ ン ク島津忠恒
鹿児島城(薩摩国) 年表
慶長19年 1614年 11月1日 
島津家久の使者が二条城(山城国)にいる徳川家康のもとに到着する。家久からは、豊臣秀頼の使者として長崎往来商人の高屋七郎兵衛が家久のもとを訪れ、秀頼黒印状・脇差(銘 正宗)を持参し、家康による大坂城(摂津国)攻めで秀頼に味方するようにとの依頼があったが、家久は関ヶ原の後、家康のおかげで本領安堵を受けているので秀頼に味方することはできないしと、脇差を返却し、使者は商人だったため殺さずに帰したことを報告する。この件は、本多正純が披露する。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 7月18日 
加藤忠広二条城(山城国)にいる徳川家康に礼をする。銀300枚・帷子を献上する。
家康が松平忠直前田利常島津家久池田利隆山内忠義堀尾忠晴加藤明成などに暇を下す。ただし、田中忠政、稲葉修理は在京を命じる。忠直・利常には徳川秀忠より黄金200枚が、家久・利隆には銀1000枚が下賜される。
出典:『駿府記』同年月日条

寛永15年 1638年 2月23日 
島津家久が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津家久(忠恒)」の項

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