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城 郭 史
新高山城(安芸国)
にいたかやまじょう
築 城 年
天文21年 1552年
築 城 者
小早川隆景
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
-
別 称
-
現 所 在 地
〒729-0412
広島県三原市本郷町本郷
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
小早川隆景
新高山城(安芸国) 年表
天文24年 1555年 10月1日
厳島(安芸国)に滞在中の
陶晴賢
を
毛利元就
が急襲し、晴賢は自害する。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」、同巻28「陶全羨最後之事」
永禄4年 1561年 3月26日
毛利元就
・
隆元
父子が
小早川隆景
の居城・
新高山城
(安芸国)に赴べく、
吉田郡山城
(安芸国)を出立し、椋梨(安芸国)にて宿泊する。
出典:毛利元就父子雄高山行向滞留日記写(『小早川家文書』1-123号)
永禄4年 1561年 3月27日
毛利元就
・
隆元
父子が
小早川隆景
の居城・
新高山城
(安芸国)に到着する。元就は井上春忠邸に、隆元は巨真寺(安芸国)に宿泊する。
出典:毛利元就父子雄高山行向滞留日記写(『小早川家文書』1-123号)
天正7年 1579年 2月-日
毛利輝元
、
吉川元春
、
吉川元長
、
吉川広家
、
小早川隆景
率いる毛利勢40000が
宇喜多直家
領の美作国に向けて出陣する。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」
天正7年 1579年 9月12日
毛利輝元
、
吉川元春
、
吉川元長
、
吉川広家
、
小早川隆景
率いる毛利勢が宇喜多家の小寺畑城(美作国)を攻め落とす。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」
天正7年 1579年 9月16日
毛利輝元
、
吉川元春
、
吉川元長
、
吉川広家
、
小早川隆景
率いる毛利勢が宇喜多家の大寺畑城(美作国)を包囲する。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」
慶長2年 1597年 6月12日
小早川隆景
が
三原城
(備後国)にて死去する。
出典:『陰徳太平記』巻79「太閤秀吉公御遊楽付黄門隆景卿逝去之事」、『黒田家譜』巻8「長政記」
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