地 名 の 歴 史

安房国[国] あわのくに
初 見-
安房国
平群郡、安房郡、長狭郡、朝夷郡
荘 園-
中 世 高-
近 世 領 主-
近 世 石 高-
鎮 守-
神 社安房神社
寺 院-
城 郭安房国の城郭
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
安房国[国] 年表
元亀2年 1571年 10月3日 
北条氏康が死去する。
出典:『早雲寺過去帳』

慶長8年 1603年 11月16日 
里見義康が死去する。
出典:-

慶長19年 1614年 9月9日 
里見忠義徳川秀忠のもとに出仕をしようとしたところ、秀忠の命により安房国からの国替えと大久保忠職のもとで謹慎するよう命じられる。大久保忠隣の改易処分に連座したものとされる。館山城(安房国)の接収のため、本多忠朝、内藤政長等が遣わされることが決まる。秀忠は忠朝・政長に忠義の家臣が城の明け渡しを拒むようなら、家臣を殺害してもかまわないとし、従うならば鹿島(常陸国)に移ること認めると指示する。
出典:『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 9月20日 
徳川家康が日善と対面する。
蒔田権佐が菓子を家康に献上する。
幸若小八郎が駿府城(駿河国)にて舞曲(文覚)を舞う。
江戸(武蔵国)より伊丹康勝・鎮目市左衛門が駿府(駿河国)に到着する。
大久保忠隣の娘婿・里見忠義が館山(安房国)より米子(伯耆国)に国替となる。本多忠朝・内藤政長が館山城(安房国)の請取に赴くこととなる。
出典:『駿府記』同年月日条

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