地 名 の 歴 史

出羽国[国] でわのくに
初 見-
出羽国
置賜郡、田川郡、出羽郡、最上郡、村山郡、飽海郡、由利郡、雄勝郡、平鹿郡、山本郡、河辺郡、秋田郡、桧山郡
荘 園-
中 世 高-
近 世 領 主-
近 世 石 高-
鎮 守-
神 社月山神社
寺 院-
城 郭出羽国の城郭
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
出羽国[国] 年表
慶長7年 1602年 5月8日 
徳川家康佐竹義宣榊原康政花房職之を上使として遣わし、義宣の常陸国・下野国・陸奥国の全所領を没収し出羽国にて所領を宛行う旨を伝える。
出典:『当代記』巻3同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第129「佐竹義宣」の項

慶長7年 1602年 5月12日 
佐竹家の国替えについて、常陸国に在国中の佐竹義重のもとへ徳川家康が使者を遣わす。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長7年 1602年 5月-日 
佐竹義宣が水戸(常陸国)から秋田(出羽国)に移封となる。父・義重は六郷(出羽国)に居住する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義重」の項

慶長7年 1602年 7月27日 
徳川家康佐竹義宣に出羽国秋田郡・仙北郡を給付する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

慶長7年 1602年 9月17日 
佐竹義宣が湊城(出羽国)に入城する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

慶長8年 1603年 5月-日 
佐竹義宣が神明山に久保田城(出羽国)の築城を開始する。梶原政景・渋江政光を普請奉行とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

慶長9年 1604年 8月28日 
佐竹義宣が湊城(出羽国)より久保田城(出羽国)に移る。湊城は破却する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

慶長19年 1614年 1月18日 
最上義光が死去する。
出典:『駿府記』同年月25日条、『梅津政景日記』同年月29日条

慶長19年 1614年 2月19日 
佐竹義宣徳川家康に領内の銀山より出た南鐐銀200貫目・砂金1000両を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

元和3年 1617年 3月6日 
最上家親が死去する。
出典:-

元和5年 1619年 12月19日 
直江兼続が死去する。
出典:-

寛永5年 1628年 9月5日 
鳥居忠政が死去する。
出典:-

寛永10年 1633年 1月25日 
佐竹義宣が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

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