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石高から軍役算出
軍役から石高算出
地 名 の 歴 史
吉田(三河国)
よしだ
初 見
-
国
三河国
郡
渥美郡
荘 園
-
中 世 高
-
近 世 領 主
-
近 世 石 高
-
鎮 守
-
神 社
-
寺 院
-
城 郭
吉田城
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
吉田(三河国) 年表
天正8年 1580年 閏3月9日
松平家忠
が
吉田
(三河国)に到着する。
出典:『家忠日記』同年月日条
慶長5年 1600年 8月8日
細川忠興
が、
吉田
(三河国)に到着する。
池田輝政
が忠興をもてなす。
出典:『細川忠興軍功記』
慶長6年 1601年 2月-日
徳川家康
が
松平家清
に
吉田
(三河国)30000石を給付する。家清はその内3200石を弟・清定に分与する。
出典:『当代記』巻3同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第21「松平家清」の項
慶長17年 1612年 1月13日
徳川家康
が
吉田
(三河国)に宿泊する。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長19年 1614年 10月29日
徳川秀忠
が吉田(三河国)に到着する。
出典:『当代記』同年月日条
慶長19年 1614年 11月2日
吉田
(三河国)より
徳川秀忠
の使者として内藤右衛門佐が
二条城
(山城国)にいる
徳川家康
のもとに到着する。右衛門佐は家康に秀忠が進軍を急いでおり、清水(駿河国)から掛川(遠江国)、吉田(三河国)と進軍したことを報告する。家康は大軍の移動を急がせていることに立腹し、そうしないようにと指示する。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長20年 1615年 1月27日
徳川家康
が
吉田
(三河国)に到着する。道中、鷹狩をする。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長20年 1615年 1月28日
徳川家康
が
吉田
(三河国)に逗留する。道中、鷹狩をする。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長20年 1615年 4月8日
徳川家康
が吉田(三河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条
元和1年 1615年 8月14日
徳川家康
が吉田(三河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条
寛永9年 1632年 6月5日
松平忠利
が
吉田
(三河国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第29「松平忠利」の項
正保2年 1645年 7月14日
小笠原忠知
が杵築(豊後国)より
吉田
(三河国)に移封となる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠真」、同巻第189「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長次」の項、同巻第190「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠知」
寛文3年 1663年 7月29日
小笠原忠知
が
吉田
(三河国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠真」、同巻第189「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長次」の項、同巻第190「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠知」
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