大化1年 645年 6月19日 |
「大化」に年号が改まる。 |
出典:- |
白雉1年 650年 2月15日 |
「大化」より「白雉」に年号が改まる。 |
出典:- |
白雉2年 651年 -月-日 |
法隆寺の覚盛が芦浦観音寺を中興したとする。 |
出典:『大安寺三綱記』 |
朱鳥1年 686年 7月20日 |
「朱鳥」に年号が改まる。 |
出典:- |
大宝1年 701年 3月21日 |
「大宝」に年号が改まる。 |
出典:- |
延暦17年 798年 7月2日 |
延鎮が坂上田村麻呂とともに十一面四十手観音菩薩像を造り、その尊体を納める宝殿として清水寺を造営する。 |
出典:藤原明衡著『清水寺縁起暦』(『大日本仏教全書』寺誌叢書第一) |
延暦20年 801年 10月-日 |
朝廷が坂上田村麻呂に清水山寺の寺地を賜う。 |
出典:『清水寺縁起』 |
弘仁13年 822年 6月4日 |
最澄が死去する。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「浄土院」の項(『天台宗全書』) |
天長1年 824年 9月3日 |
大講堂(東塔)の供養を行う。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「大講堂」の項(『天台宗全書』) |
天長1年 824年 -月-日 |
大講堂(東塔)を建立し、胎蔵界大毘盧遮那仏・弥勒・観音・梵天帝釈四天王・文殊師利聖僧を安置する。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「大講堂」の項(『天台宗全書』) |
天長4年 827年 -月-日 |
勅により戒壇院を建立する。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「戒壇院」の項(『天台宗全書』) |
天長4年 827年 -月-日 |
鐘堂(東塔)を光定大師が建立。前丹波守浄野夏野が鐘銘を作り、嵯峨天皇が清書する。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「鐘堂」の項(『天台宗全書』) |
貞観6年 864年 1月14日 |
円仁が慈叡房にて死去する。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「前唐院」の項(『天台宗全書』) |
元慶7年 883年 2月7日 |
造東寺塔料として、山城・大和・河内・淡路の三宝布施料稲3,000束、伊賀・伊勢の米400石、遠江・武蔵・上野・下野・能登・因幡・周防の米500石、播磨の米200石、美作の稲4,000束を宛てられる。 |
出典:『日本三大実録』同年月日条 |
仁和4年 888年 -月-日 |
前唐院(東塔)を建立する。 |
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「前唐院」の項(『天台宗全書』) |
延喜3年 903年 -月-日 |
平将門が生まれる。 |
出典:- |
延喜12年 912年 4月10日 |
源満仲が生まれる。 |
出典:- |
延喜3年 940年 2月14日 |
藤原忠文率いる朝廷軍と平将門が戦い、将門が戦死する。 |
出典:- |
天慶7年 944年 1月9日 |
長谷寺が焼失する |
出典:『日本紀略』『扶桑略記』『帝王編年記』同年月日条 |
天暦2年 948年 -月-日 |
源頼光が生まれる。 |
出典:- |
天暦7年 953年 -月-日 |
渡辺綱が生まれる。 |
出典:- |
応和1年 961年 11月10日 |
源経基が死去する。 |
出典:- |
天延3年 976年 6月-日 |
地震により山城国の宮城諸司の庁舎、東寺、西寺、極楽寺、清水寺、円覚寺等の堂舎が倒壊する。 |
出典:『日本紀略』天延4年6月条 |
永延1年 987年 10月17日 |
円融法皇が長谷寺に参詣する。 |
出典:『百錬抄』同年月日条 |
永祚2年 990年 5月10日 |
藤原兼家が盛明親王邸(二条京極)に法興院(積善寺)を建立する。 |
出典:『栄花物語』、『百練抄』同年月日条 |
永祚2年 990年 7月2日 |
藤原兼家が死去する。 |
出典:『栄花物語』 |
正暦2年 991年 2月3日 |
長谷寺が焼失する。 |
出典:『興福寺略年代記』同年月日条 |
正暦2年 991年 7月-日 |
藤原兼家の供養会が法興院にて修される。 |
出典:『百練抄』同年月日条 |
正暦2年 991年 10月15日 |
皇太后詮子が長谷寺に参詣する。 |
出典:『扶桑略記』同年月日条 |
正暦2年 991年 -月-日 |
壬生寺が創建される。 |
出典:『山城名勝志』4「洛陽」 |