人 物 史

池田利政 いけだ としまさ
生 没 年文禄3年(1594)-寛永16年(1639)8/11
出 身三河国吉田幼 名-
別 称左近
法 名-
戒 名法清院殿月桂浄秋大居士
池田輝政安藤氏の娘
兄 弟 姉 妹池田利隆池田忠継池田忠雄池田輝澄池田政綱池田輝興、女(京極高広の妻)、振(伊達忠宗の妻)、池田政虎、池田輝高、池田利政
配 偶 者佐久間勝之の娘
池田政信、池田知利
官 位摂津守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
池田利政 年表
文禄3年 1594年 -月-日 1歳
池田利政が生まれる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 3歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長18年 1613年 1月24日 20歳
巳刻(9-11時)、父・輝政が中風を発症し、声を発せなくなる。
出典:『駿府記』同年月29日条

慶長18年 1613年 1月25日 20歳
申刻(15-17時)、父・輝政が姫路(播磨国)にて死去する。
出典:『駿府記』同年月29日条、『寛政重修諸家譜』巻第263「池田輝政」の項

慶長18年 1613年 3月15日 20歳
徳川家康秀忠父子が播磨国仕置きのため安藤重信村越直吉を播磨国に遣わす。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 4月27日 20歳
播磨国仕置き(池田輝政死後の後処理)に赴いていた村越直吉安藤重信が駿府城(駿河国)に戻る。若原良長、中村正勝による領国経営が問題だったため、良長を罰す。正勝は病死する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長18年 1613年 6月16日 20歳
池田輝政の遺領について徳川家康が裁定する。播磨国は池田玄隆に、備前国および播磨国宍粟郡・佐用郡・赤穂郡は池田忠継に給付することが決まる。
出典:『駿府記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第263「池田利隆」の項、同巻第265「池田忠継」の項

慶長18年 1613年 8月22日 20歳
池田輝政の遺領相続につき、池田玄隆忠継兄弟が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に対面する。玄隆は銀300枚・太刀(銘 守家)を、忠継は銀200枚・太刀(銘 長光)を家康に献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 2月4日 22歳
寅刻(3-5時)、継母・が死去する。
出典:『駿府記』同年月8日条

慶長20年 1615年 2月23日 22歳
兄・忠継が疱瘡を患い岡山(備前国)にて死去する。
*『駿府記』では22日死去となっている。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第265「池田忠継」の項、『駿府記』同年月28日条

元和1年 1615年 7月13日 22歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

寛永1年 1624年 2月30日 31歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
出典:-

寛永16年 1639年 8月11日 46歳
池田利政が死去する。
出典:-

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