人 物 史

池田政綱 いけだ まさつな
生 没 年慶長10年(1605)-寛永8年(1631)7/29
出 身播磨国姫路幼 名岩松
別 称松平政綱
法 名-
戒 名雲龍院殿涼軸蔭公大居士
池田輝政督(徳川家康の娘)
兄 弟 姉 妹池田利隆池田忠継池田忠雄池田輝澄池田政綱池田輝興、女(京極高広の妻)、振(伊達忠宗の妻)、池田政虎、池田輝高、池田利政
配 偶 者-
-
官 位右京大夫
役 職-
城 郭赤穂城(播磨国)
参 考 文 献○『寛政重修諸家譜』巻第263「池田政綱」の項
関 連 デ ー タ-
池田政綱 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
慶長10年1605--1池田政綱が生まれる。-
慶長16年16111157弟・輝興が播磨国姫路にて生まれる。『寛政重修諸家譜』巻第266「池田輝興」の項
慶長18年16131249巳刻(9-11時)、父・輝政が中風を発症し、声を発せなくなる。『駿府記』同年月29日条
慶長18年16131259申刻(15-17時)、父・輝政が姫路(播磨国)にて死去する。『駿府記』同年月29日条、『寛政重修諸家譜』巻第263「池田輝政」の項
慶長18年16133159徳川家康秀忠父子が播磨国仕置きのため安藤重信村越直吉を播磨国に遣わす。『駿府記』同年月日条
慶長18年16134279播磨国仕置き(池田輝政死後の後処理)に赴いていた村越直吉安藤重信が駿府城(駿河国)に戻る。若原良長、中村正勝による領国経営が問題だったため、良長を罰す。正勝は病死する。『駿府記』同年月日条
慶長18年16136169池田輝政の遺領について徳川家康が裁定する。播磨国は池田玄隆に、備前国および播磨国宍粟郡・佐用郡・赤穂郡は池田忠継に給付することが決まる。『駿府記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第263「池田利隆」の項、同巻第265「池田忠継」の項
慶長18年16138229池田輝政の遺領相続につき、池田玄隆忠継兄弟が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に対面する。玄隆は銀300枚・太刀(銘 守家)を、忠継は銀200枚・太刀(銘 長光)を家康に献上する。『駿府記』同年月日条
慶長20年16152411寅刻(3-5時)、母・が死去する。『駿府記』同年月8日条
慶長20年161522311兄・忠継が疱瘡を患い岡山(備前国)にて死去する。
*『駿府記』では22日死去となっている。
『寛政重修諸家譜』巻第265「池田忠継」の項、『駿府記』同年月28日条
元和2年161611911池田忠雄が従四位下・侍従に叙位・任官。『寛政重修諸家譜』巻第265「池田忠雄」の項
慶長20年161562811徳川秀忠二条城(山城国)にいる徳川家康のもとに赴く。家康・秀忠は池田忠雄を召し出し、兄・忠継の遺領相続を認める。ただし、播磨国宍粟郡38000石は輝澄に、同国赤穂郡35000石は政綱に、同国佐用郡25000石は輝興に分与し、忠雄は備前国浅口郡・窪屋郡・下道郡・都宇郡の315000石を領し、淡路国は幕府に返上する。『駿府記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第263「池田政綱」の項、同巻第265「池田忠雄」の項、同巻第266「池田輝澄」の項
元和1年161571311「慶長」より「元和」に年号が改まる。『駿府記』同年月日条
元和2年161641712徳川家康が死去する。-
元和9年162371919池田政綱が従五位下・右京大夫に叙位・任官。『寛政重修諸家譜』巻第263「池田政綱」の項
寛永1年162423020「元和」より「寛永」に年号が改まる。-
寛永3年162681922島津家久が従三位・参議に叙位・任官。森忠政が従四位上・左近衛中将に叙位・任官。南部利直加藤嘉明が従四位上に叙される。細川忠利が従四位下・左近衛少将に叙位・任官。池田政綱が従四位下に叙される。『寛政重修諸家譜』巻第105「細川忠利」の項、同108「島津家久(忠恒)」の項、同210「南部利直」の項、同263「池田政綱」の項、同773「加藤嘉明」の項
寛永8年163172927池田政綱が死去する。『寛政重修諸家譜』巻第263「池田政綱」の項
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