人 物 史

小山田信茂 おやまだ のぶしげ
生 没 年天文9年(1540)-天正10年(1582)3/24
出 身-幼 名藤乙丸
別 称弥五郎
法 名-
戒 名青雲院武山長久居士
小山田信有(出羽守)-
兄 弟 姉 妹小山田信有(桃隠)小山田信茂
配 偶 者御宿友綱の妹
男、女、香具(内藤忠興の妻)[養女]
官 位左兵衛尉、越前守
役 職-
城 郭谷村城(甲斐国)、岩殿山城(甲斐国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ小山田信茂の関連文化財
小山田信茂 年表
天文9年 1540年 -月-日 1歳
小山田信茂が生まれる。
出典:-

天文10年 1541年 2月12日 2歳
祖父・信有が死去する。
出典:-

天文21年 1552年 1月23日 13歳
父・信有が死去する。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 16歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 19歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄4年 1561年 9月10日 22歳
川中島(信濃国)にて武田信玄上杉政虎が戦う。武田勢:武田信繁(戦死)、室住虎光(戦死)、山本晴幸(戦死)、初鹿野忠次(戦死)、油川信吉[戦死]、田沢正俊(戦死)、山高親之(信繁の首級奪還)。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第147「油川信吉」、同巻第150「田沢正俊」の項、同巻第160「山高親之」の項

永禄8年 1565年 8月20日 26歳
兄・信有が死去する。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 31歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀4年 1573年 4月12日 34歳
武田信玄が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第145「武田晴信」の項

天正1年 1573年 7月28日 34歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 3月3日 43歳
卯刻(5-7時)、武田勝頼新府城(甲斐国)を自焼する。その後、小山田信茂を頼り、岩殿山城(甲斐国)を目指す。
出典:『信長公記』巻15(8)「武田四郎甲州新府退散の事」

天正10年 1582年 3月7日 43歳
織田信忠が上諏訪(信濃国)より甲府(甲斐国)に入る。一条信龍邸に陣を据える。信忠は一条信龍、清野美作守、朝比奈摂津守、諏訪越中守、武田上総介、今福筑前守、小山田出羽守、正用軒、海野龍宝に切腹を命じる。
出典:『信長公記』巻15(9)「信長公御乱入の事」

天正10年 1582年 3月11日 43歳
織田信忠が甲斐国にて武田勝頼の所在を捜索し、所在地を突き止めた滝川一益が勝頼を包囲する。勝頼・信勝父子は天目山にて自害し、勝頼に随従していた長坂釣竿斎、秋山親久、小原下総守、小原丹後守、跡部尾張守、安部加賀守、土屋昌恒も自害する。
出典:『晴豊記』同年月22日条、『言経卿記』同年月20日条、『信長公記』巻15(10)「武田四郎父子生害の事」

天正10年 1582年 3月24日 43歳
小山田信茂が死去する。
出典:-

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