人 物 史

吉川経家 きっかわ つねいえ
生 没 年天文16年(1547)-天正9年(1581)10/25
出 身-幼 名千熊丸
別 称小太郎
法 名-
戒 名平等院殿前吏部兼因幡権守寂輔空心大禅定門
吉川経安吉川経典の娘
兄 弟 姉 妹吉川経家、女(久利盛勝の妻)、女(小坂経通の妻)
配 偶 者境経輝の娘
吉川経実、吉川家種、吉川家好、娘(都野家頼の妻、武安十兵衛の妻)、娘(粟屋加賀守の妻)、娘(福富晴方の妻)
官 位式部少輔
役 職-
城 郭福光城(石見国)、鳥取城(因幡国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ吉川経家の関連文化財
吉川経家 年表
天文16年 1547年 -月-日 1歳
吉川経家が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 9歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 12歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄6年 1563年 8月4日 17歳
毛利隆元が佐々部(安芸国)にて死去する。
出典:『桂岌円覚書』

永禄11年 1568年 11月5日 22歳
吉川元春小早川隆景が長野兵部太輔の籠る三ツ嶽城(豊前国)を攻め、同城を落とす。元春勢として城攻めに参加する。
出典:『陰徳記』巻42「豊前国三ツ嶽没落之事」

永禄12年 1569年 4月16日 23歳
吉川元春小早川隆景、宍戸隆家、熊谷信直杉原盛重立花山城(筑前国)を攻める。吉川元春勢として城攻めに参加する。
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」

永禄12年 1569年 5月18日 23歳
立花山城(筑前国)近くで、吉川元春小早川隆景、宍戸隆家、熊谷信直等が率いる毛利勢と戸次道雪率いる大友勢が戦う。吉川勢として戦いに参加する。
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」

元亀1年 1570年 4月23日 24歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 27歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正9年 1581年 6月25日 35歳
羽柴秀吉鳥取城(因幡国)を攻めるべく姫路城(播磨国)より出陣する。
出典:『信長公記』巻14(6)「因幡国取鳥城取詰めの事」、『綿考輯録』巻4、『豊臣記』

天正9年 1581年 6月28日 35歳
羽柴秀吉吉川経家の籠る鳥取城(因幡国)を攻める。
出典:『信長公記』巻14(6)「因幡国取鳥城取詰めの事」、『綿考輯録』巻4、『豊臣記』

天正9年 1581年 7月1日 35歳
羽柴秀吉吉川経家の籠る鳥取城(因幡国)を攻めるべく、付城を築き杉原家次を入れ、鳥取城への路次を封鎖する。
出典:『信長公記』巻14(6)「因幡国取鳥城取詰めの事」、『綿考輯録』巻4、『豊臣記』

天正9年 1581年 7月5日 35歳
羽柴秀吉吉川経家の籠る鳥取城(因幡国)を包囲する。
出典:『綿考輯録』巻4、『黒田家譜』巻2「孝高記」

天正9年 1581年 10月25日 35歳
鳥取城(因幡国)を守る吉川経家が、城兵の助命と引き換えに切腹する。検使は堀尾吉晴
羽柴秀吉は経家の首を安土城(近江国)に送る。
出典:天正9年10月26日付堀久太郎宛書状(『豊臣秀吉文書集』1巻-350号)、『豊臣記』

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