人 物 史

杉原盛重 すぎはら もりしげ
生 没 年天文2年(1533)-天正9年(1581)12/25
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名見性院殿大安宗広大居士
杉原匡信高洲光忠の娘
兄 弟 姉 妹杉原盛重
配 偶 者毛利興元の娘
杉原元盛、杉原景盛、杉原景保、杉原常佐、娘(河口久氏の妻)、娘(吉田元重の妻)、娘(末次元康の妻)
官 位播磨守
役 職-
城 郭神辺城(備後国)
参 考 文 献杉原盛重に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
杉原盛重 年表
天文2年 1533年 -月-日 1歳
杉原盛重が生まれる。
出典:-

天文17年 1548年 6月20日 16歳
陶隆房毛利元就毛利隆元吉川元春小早川隆景、宍戸元源、宍戸隆家、平賀隆宗、香川光景、己斐豊後守の軍勢10000が山名理興神辺城(備後国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻第17「備後国神辺ノ城合戦之事」

天文17年 1548年 6月23日 16歳
吉川元春神辺城(備後国)より討って出た山名理興が戦う。この戦いに山名勢として参加する。
出典:『陰徳太平記』巻第17「備後国神辺ノ城合戦之事」

天文17年 1548年 11月19日 16歳
杉原盛重、杉原興勝が軍勢700を率い平賀隆宗の平賀城(安芸国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻第17「平賀杉原合戦之事」

天文18年 1549年 11月19日 17歳
杉原盛重、杉原興勝が軍勢700をもって、平賀隆宗の拠る神辺城(備後国)の向城を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻第17「平賀杉原合戦之事」

弘治1年 1555年 10月23日 23歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月17日 26歳
出羽(石見国)にて本城常光小笠原長雄・牛尾幸清・湯惟宗・宇山久兼吉川元春・出羽元祐・杉原盛重福屋隆兼が戦う。
出典:『陰徳太平記』巻31「石州出羽合戦之事」

弘治4年 1558年 2月28日 26歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄1年 1558年 4月晦日日 26歳
吉川元春益田藤兼、佐波秀連、杉原盛重福屋隆兼小笠原長雄の所領・温湯(石見国)の在所を放火する。その火が、長雄館にも引火する。元春は長雄勢を攻め、長雄は温湯城(石見国)に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄1年 1558年 5月20日 26歳
毛利元就毛利隆元小早川隆景率いる毛利勢7000が小笠原長雄の籠る温湯城(石見国)を攻めるべく出陣する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄1年 1558年 5月24日 26歳
毛利元就毛利隆元吉川元春小早川隆景益田藤兼、佐波秀連、杉原盛重福屋隆兼、宍戸隆家、熊谷信直天野隆重、出羽元祐率いる毛利勢12000が小笠原長雄の籠る温湯城(石見国)を包囲する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄1年 1558年 5月29日 26歳
小笠原長雄の籠る温湯城(石見国)を攻めるにあたり、毛利隆元が笠取山に、吉川元春が温湯城・赤城間に、小早川隆景が小栖山に陣取る。
温湯城(石見国)-赤城間に陣取る吉川元春が、赤城の小笠原勢を攻めると思いこんだ小笠原長雄が、加勢として旗谷に勢を出す。元春は応戦し、小笠原勢を破る。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄1年 1558年 6月1日 26歳
吉川元春が、赤城に陣取る小笠原勢を攻める。小笠原勢は温湯城(石見国)に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻31「小笠原館放火付温湯城取巻事」

永禄6年 1563年 7月-日 31歳
毛利元就尼子義久を志路村(安芸国)に置く。月山富田城(出雲国)に天野隆重を置き、南条城(伯耆国)に杉原盛重を置く。
出典:『毛利元就記』

永禄6年 1563年 8月4日 31歳
毛利隆元が佐々部(安芸国)にて死去する。
出典:『桂岌円覚書』

永禄8年 1565年 8月8日 33歳
杉原盛重今田経高二宮俊実、森脇市郎右衛門、山県四郎右衛門が蜂塚右衛門尉の籠る江美城(伯耆国)を攻め、同城を落とす。
出典:『陰徳太平記』巻39「伯州江美城没落之事」

永禄8年 1565年 9月20日 33歳
毛利元就毛利輝元吉川元春吉川元長小早川隆景等が率いる軍勢25000が尼子義久の居城・月山富田城(出雲国)を攻めぐべく掠良木山に陣取る。
元就が末次(出雲国)に米原綱寛を、天満城に杉原盛重家臣の菖蒲左馬允・入江大蔵少輔・菊池肥前守を、守山に長屋小次郎を置く。
出典:『陰徳太平記』巻39「富田所々付城並山中鹿ノ助夜討事」

永禄11年 1568年 11月5日 36歳
吉川元春小早川隆景が長野兵部太輔の籠る三ツ嶽城(豊前国)を攻め、同城を落とす。元春配下として城攻めに参加する。
出典:『陰徳記』巻42「豊前国三ツ嶽没落之事」

永禄12年 1569年 4月4日 37歳
吉川元春小早川隆景、宍戸隆家、熊谷信直等が率いる毛利勢が壇(筑前国)に陣取る。
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」

永禄12年 1569年 4月4日 37歳
吉川元春小早川隆景等が率いる毛利勢が立花山城(筑前国)を攻めるべく壇(筑前国)を発つ。
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」

永禄12年 1569年 4月16日 37歳
吉川元春小早川隆景、宍戸隆家、熊谷信直杉原盛重等が率いる毛利勢が立花山城(筑前国)を攻める。
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」

永禄12年 1569年 5月5日 37歳
吉川元春小早川隆景、宍戸隆家、熊谷信直等が率いる毛利勢の攻撃を受けている立花山城(筑前国)を救うべく、大友勢が同城の後詰めとして到着する。大友勢と毛利勢が戦う。
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」

永禄12年 1569年 5月18日 37歳
立花山城(筑前国)近くで、吉川元春小早川隆景、宍戸隆家、熊谷信直等が率いる毛利勢と戸次道雪率いる大友勢が戦う。
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」

永禄12年 1569年 8月3日 37歳
藤井道晧、大江田隼人佑が所原肥後守の守る杉原盛重の居城・神辺城(備後国)を攻め、同城を落とす。盛重の子・景盛は城より脱出する。
出典:『陰徳太平記』巻44「備後国神辺城合戦並防州関所城合戦之事」

永禄12年 1569年 10月15日 37歳
吉川元春小早川隆景、宍戸隆家、福原貞俊桂元澄、志道広好、吉見正頼、三沢為清、三刀屋久扶、益田藤兼杉原盛重熊谷信直等からなる毛利勢が、立花山城(筑前国)からの撤退を開始する。
出典:『陰徳太平記』巻45「元春隆景立花退陣之事」

永禄13年 1570年 2月14日 38歳
布部山(出雲国)にて毛利輝元吉川元春小早川隆景率いる毛利勢と山中幸盛・立原久綱率いる尼子勢が戦い、毛利勢が勝利する。毛利勢は細迫左京亮、児玉弥七郎、粟屋元光、田門右衛門尉が、尼子勢は真木与一、隠岐清実、寺本四郎三郎、東藤八、金尾半四郎、飛石孫太夫、横道正光が戦死する。この戦いに毛利勢として参加する。
出典:『陰徳太平記』巻46「出雲国布弁合戦之事」

元亀1年 1570年 4月23日 38歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 10月3日 38歳
尼子勝久が末次城(出雲国)を攻める。
勝久の末次城攻撃を月山富田城(出雲国)で聞いた吉川元春が末次城救援のため月山富田城を発つ。途中、杉原盛重、南条元清、三刀屋久扶、三沢為清、益田藤兼、山田重直が元春に合流し、末次城近くに陣取る。元春は元清・重直を新山攻めを命じる。勝久・幸盛・久綱は元春が後詰にやってきたことを受け、新山に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻47「勝久攻末次付後詰並米原降参之事」

元亀1年 1570年 10月10日 38歳
吉川元春尼子勝久山中幸盛、立原久綱等が籠る新山城(出雲国)より撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻47「勝久攻末次付後詰並米原降参之事」

元亀2年 1571年 2月7日 39歳
浄満原(伯耆国)にて杉原盛重と平野久基が戦う。
出典:『陰徳太平記』巻48「伯州浄満原合戦之事」

元亀2年 1571年 3月18日 39歳
秋上久家が福頼元秀の籠る米子城(伯耆国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻48「羽倉元陰戦死之事」

元亀2年 1571年 3月19日 39歳
稗津にて吉田元重と羽倉元陰が戦い、元陰が戦死する。
出典:『陰徳太平記』巻48「羽倉元陰戦死之事」

元亀2年 1571年 8月25日 39歳
吉川元春、宍戸隆家、口羽通良、杉原盛重、南条元清、三沢為清、三刀屋久扶等の軍勢7000が、尼子勝久の籠る新山城(出雲国)を攻める。勝久は城より脱出し、隠岐国に逃れる。
出典:『陰徳太平記』巻48「山中鹿助出奔付尼子勝久逃走於隠州之事」

天正1年 1573年 7月28日 41歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正9年 1581年 12月25日 49歳
杉原盛重が死去する。
出典:-

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