人 物 史

久我晴通 こが はるみち
生 没 年永正16年(1519)-天正3年(1575)3/13
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名-
近衛尚通
久我通言[養父]
徳大寺維子
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者武田元光の娘、鴨祝秀顕の娘
久我通堅、岩倉具尭、奈良直基、娘(近衛前久の妻)、娘(西園寺実益の妻)、娘(久我敦通の妻)
官 位権大納言、右近衛大将
氏 族 門 流-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
久我晴通 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
永正16年1519--1久我晴通が生まれる。-
天文18年15496273124日の江口の合戦で三好長慶に敗れた細川晴元が、足利義晴義藤と合流し、近衛晴嗣聖護院道増、大覚寺義俊、三宝院義尭、久我晴通とともに京都を脱し慈照寺に逗留する。晴元は東山葛岡に陣取る。
義晴、義藤、晴元、六角義賢が長慶への対応を協議する。
『足利季世記』巻4「大樹ト晴元御没落ノ事」
永禄12年156911651久我晴通山科言継邸の真向かいの家を購入し同家に移る。言継は柳2荷を持参するが晴通は外出中のため会えず。『言継卿記』同年月日条
元亀2年15714353久我晴通が豊州に下向する。『言継卿記』同年月日条
元亀2年157142753久我晴通が落馬する。そのため愛洲薬を山科言継に所望する。『言継卿記』同年月日条
元亀2年157142853山科言継が晴通を見舞う。言継によると晴通は歩行困難の状態であるという。『言継卿記』同年月日条
元亀2年157171853山科言継が自邸の真向かいの久我晴通邸を訪問する。干飯にて酒を飲む。『言継卿記』同年月日条
天正3年157531357久我晴通が死去する。-
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