人 物 史

道増 どうぞう
生 没 年永正5年(1508)-元亀2年(1571)3/1
出 身-
俗 姓(氏)-俗 名-
別 称-
院 号 坊 号聖護院
近衛尚通-
兄 弟 姉 妹-
所 属 寺 社聖護院
僧 位 僧 官大僧正
諡 号-
師 匠-
参 考 文 献○『寛政重修諸家譜』巻第168「清和源氏 義光流 武田支流」「東条行長」の項
関 連 デ ー タ-
道増 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
永正5年1508--1道増が生まれる。-
大永6年152621619足利義晴が石清水八幡宮に参詣する。細川高国が男山山上を、畠山稙長が義晴の宿院・善法寺を警固する。義晴の参詣にあたり、聖護院道増、広橋守光、烏丸光康、高倉永家、日野内光、賀茂在富、白川雅業、土御門有春、細川澄賢、畠山稙成、朽木稙綱伊勢貞孝、伊勢備中守、結城左近将監、飯川能登守、蜷川式部少輔、能勢弥太郎、西郡四郎、上野民部大輔、小林五郎、三上大蔵、松田丹後守が供奉する。『陰徳太平記』巻6「石清水八幡宮造営付義晴将軍御社参之事」
天文8年153922832聖護院道増が大峰入峰のため京都を発つ。『親俊日記」同年月日条
天文15年1546121639聖護院道増足利義藤の元服に参列すべく、坂本(近江国)に到着する。『光源院殿御元服記』(『群書類従』)
天文16年1547340足利義晴義藤父子が北白川城(山城国)に900余騎にて籠城する。随従者は近衛稙家聖護院道増、大覚寺義尭、烏丸光康日野晴光、高倉永家、日野資将、賀茂在留、大舘晴光、細川輝経、大舘晴忠、細川隆是、伊勢貞教、摂津元造、摂津晴門、三淵晴員、小笠原備前守、武田信実和田惟政『足利季世記』巻4「公方御入城ノ事」
天文16年15474140細川晴元三好長慶ら淡路・四国衆30000をもって足利義晴義藤父子が籠城する北白川城(山城国)を攻める。『足利季世記』巻4「公方御入城ノ事」
天文16年154741040足利義晴義藤父子が籠城する北白川城(山城国)を攻めていた三好長慶ら淡路・四国衆30000が摂津国国衆の制圧を優先した細川晴元の命により摂津国に引き上げる。『足利季世記』巻4「公方御入城ノ事」
天文16年154771240細川晴元の要請を受けた六角定頼義賢が、足利義晴義藤が籠城する北白川城(山城国)を包囲する。『足利季世記』巻4「公方東坂本御出奔ノ事」
天文16年154771940細川晴元六角定頼の包囲を受け耐えられず足利義晴義藤父子が籠城していた北白川城(山城国)を自焼し東坂本(近江国)に逃れる。『足利季世記』巻4「公方東坂本御出奔ノ事」、『陰徳太平記』巻15「将軍北白川御籠城之事」
天文18年154952742多賀社本願の祐尊が上人号勅許の礼として聖護院道増とともに参内する。『御湯殿上之記』同年月日条
天文18年15496274224日の江口の合戦で三好長慶に敗れた細川晴元が、足利義晴義藤と合流し、近衛晴嗣聖護院道増、大覚寺義俊、三宝院義尭、久我晴通とともに京都を脱し慈照寺に逗留する。晴元は東山葛岡に陣取る。
義晴、義藤、晴元、六角義賢が長慶への対応を協議する。
『足利季世記』巻4「大樹ト晴元御没落ノ事」
永禄6年15637656毛利隆元が厳島(安芸国)に赴く。聖護院道増に暇乞いをする。『桂岌円覚書』
元亀2年15713164聖護院道増が死去する。-
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