人 物 史

土岐頼貞 とき よりさだ
生 没 年文永8年(1271)-暦応2年・延元4年(1339)2/22
出 身-幼 名-
別 称頼定
法 名-
戒 名定林寺殿前伯州太守雲石存孝大居士
土岐光定北条貞時の娘
兄 弟 姉 妹隠岐国時、高田衡国、阿波教国、笠毛光教、隠岐胤国、蜂屋定親、土岐頼貞、舟木頼重
配 偶 者北条宗頼の娘
土岐頼直、土岐高頼、乾道謙、舟木頼衡、墨俣頼連、土岐頼清、土岐頼遠、土岐頼仲、長山頼基、土岐頼兼、土岐頼里、土岐頼明
官 位伯耆守
役 職美濃国守護
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ土岐頼貞の関連文化財
土岐頼貞 年表
文永8年 1271年 -月-日 1歳
土岐頼貞が生まれる。
出典:-

建治1年 1275年 4月25日 5歳
「文永」より「建治」に年号が改まる。
出典:-

弘安1年 1278年 2月29日 8歳
「建治」より「弘安」に年号が改まる。
出典:-

正応1年 1288年 4月28日 18歳
「弘安」より「正応」に年号が改まる。
出典:-

永仁1年 1293年 8月5日 23歳
「正応」より「永仁」に年号が改まる。
出典:-

正安1年 1299年 4月25日 29歳
「永仁」より「正安」に年号が改まる。
出典:-

乾元1年 1302年 11月21日 32歳
「正安」より「乾元」に年号が改まる。
出典:-

嘉元1年 1303年 8月5日 33歳
「乾元」より「嘉元」に年号が改まる。
出典:-

徳治1年 1306年 12月14日 36歳
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
出典:-

延慶1年 1308年 10月9日 38歳
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
出典:-

応長1年 1311年 4月28日 41歳
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
出典:-

正和1年 1312年 3月20日 42歳
「応長」より「正和」に年号が改まる。
出典:-

文保1年 1317年 2月3日 47歳
「正和」より「文保」に年号が改まる。
出典:-

元応1年 1319年 4月28日 49歳
「文保」より「元応」に年号が改まる。
出典:-

元亨1年 1321年 2月23日 51歳
「元応」より「元亨」に年号が改まる。
出典:-

正中1年 1324年 12月9日 54歳
「元亨」より「正中」に年号が改まる。
出典:-

嘉暦1年 1326年 4月26日 54歳
「正中」より「嘉暦」に年号が改まる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 59歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 8月9日 61歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

正慶1年 1332年 4月28日 62歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 63歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 4月27日 63歳
足利高氏が篠村(丹波国)にて幕府方から後醍醐天皇方に寝返る。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』

建武2年 1335年 12月13日 65歳
箱根・竹ノ下の合戦で足利尊氏と尊良親王・新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武3年 1336年 2月13日 66歳
桜山にて足利尊氏足利直義兄弟と新田義貞北畠顕家楠木正成が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 66歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元1年 1336年 5月25日 66歳
湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。
出典:-

建武4年 1337年 3月-日 67歳
北朝勢が新田義貞の籠る金ヶ崎城(越前国)を攻め、同城を落とす。新田義顕、尊良親王が自害する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 1月-日 68歳
青野原(美濃国)にて北畠顕家と土岐頼遠・上杉憲顕・今川範国・吉良満義・高師兼が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月4日 68歳
足利尊氏北畠顕家に応戦するため、京都より近江国に高師泰・細川頼春を遣わす。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月6日 68歳
黒地川にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦う。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月14日 68歳
雲津川・墨俣川口にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 閏7月2日 68歳
藤島(越前国)にて新田義貞斯波高経の軍勢に遭遇し戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

暦応2年・延元4年 1339年 2月22日 69歳
土岐頼貞が死去する。
出典:-

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.