人 物 史

斯波高経 しば たかつね
生 没 年嘉元3年(1305)-貞治6年・正平22年(1367)7/13
出 身-幼 名千鶴丸
別 称孫三郎、七条殿、三条高倉殿
法 名道朝
戒 名-
斯波宗氏大江時秀の娘
兄 弟 姉 妹斯波高経、斯波家兼
配 偶 者-
斯波家長、斯波氏経、斯波氏頼、斯波義将、斯波義種
官 位尾張守
役 職越前国守護、若狭国守護、越中国守護
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ斯波高経の関連文化財
斯波高経 年表
嘉元3年 1305年 -月-日 1歳
斯波高経が生まれる。
出典:-

徳治1年 1306年 12月14日 2歳
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
出典:-

延慶1年 1308年 10月9日 4歳
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
出典:-

応長1年 1311年 4月28日 7歳
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
出典:-

正和1年 1312年 3月20日 8歳
「応長」より「正和」に年号が改まる。
出典:-

文保1年 1317年 2月3日 13歳
「正和」より「文保」に年号が改まる。
出典:-

元応1年 1319年 4月28日 15歳
「文保」より「元応」に年号が改まる。
出典:-

元亨1年 1321年 2月23日 17歳
「元応」より「元亨」に年号が改まる。
出典:-

正中1年 1324年 12月9日 20歳
「元亨」より「正中」に年号が改まる。
出典:-

嘉暦1年 1326年 4月26日 20歳
「正中」より「嘉暦」に年号が改まる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 25歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 8月9日 27歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

正慶1年 1332年 4月28日 28歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 29歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 4月27日 29歳
足利高氏が船上山(伯耆国)で挙兵した後醍醐天皇を討つため京都を発つ。篠村(丹波国)に陣を張る。これより幕府を裏切り後醍醐天皇方となる。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月22日 29歳
新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。
出典:『関城書裏書』

元弘3年 1333年 6月7日 29歳
後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』

建武2年 1335年 8月2日 31歳
北条時行に攻められた足利直義を救うため足利尊氏が出京する。近江国野路に到着する。
出典:『関城書裏書』、足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月17日 31歳
箱根(相模国)にて足利尊氏と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月18日 31歳
相模川の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月19日 31歳
足利尊氏が鎌倉(相模国)に到着する。辻堂・片瀬原の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 12月13日 31歳
箱根・竹ノ下の合戦で足利尊氏と尊良親王・新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武3年 1336年 1月10日 32歳
後醍醐天皇が東坂本(近江国)に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

建武3年 1336年 1月30日 32歳
後醍醐天皇が京都に還幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

建武3年 1336年 2月13日 32歳
桜山にて足利尊氏足利直義兄弟と新田義貞北畠顕家楠木正成が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 32歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元1年 1336年 4月-日 32歳
足利尊氏直義兄弟が九州を発し、笠戸(周防)に入る。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 5月25日 32歳
湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。
出典:-

延元1年 1336年 5月27日 32歳
後醍醐天皇延暦寺に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元1年 1336年 6月-日 32歳
足利尊氏延暦寺に籠る後醍醐天皇を攻める。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 10月10日 32歳
後醍醐天皇延暦寺より京都に還幸する。帝位を恒良親王に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元1年 1336年 10月-日 32歳
斯波高経高師泰金ヶ崎城(越前国)に籠る新田義貞を攻める。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 12月20日 32歳
後醍醐天皇が京都を潜に抜け出し吉野(大和国)に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

建武4年 1337年 3月-日 33歳
北朝勢が新田義貞の籠る金ヶ崎城(越前国)を攻め、同城を落とす。新田義顕、尊良親王が自害する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元2年 1337年 12月24日 33歳
北畠顕家新田義興、北条時行が足利義詮の拠る鎌倉(相模国)を攻め、攻め落とす。義詮は京都に敗走する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 1月-日 34歳
青野原(美濃国)にて北畠顕家と土岐頼遠・上杉憲顕・今川範国・吉良満義・高師兼が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月6日 34歳
黒地川にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦う。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月14日 34歳
雲津川・墨俣川口にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月28日 34歳
南都にて北畠顕家と北朝勢が戦い、北朝勢が勝利する。義良親王は吉野へ、顕家は河内国に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 5月22日 34歳
石津の合戦で北畠顕家が高師直と戦い、師直が勝利する。顕家は阿倍野にて戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 閏7月2日 34歳
藤島(越前国)にて新田義貞斯波高経の軍勢に遭遇し戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

暦応2年・延元4年 1339年 8月16日 35歳
後醍醐天皇が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞和4年・正平3年 1348年 1月5日 44歳
四条畷(河内国)にて高師直と楠木正行が戦い、師直が勝利する。正行・正時兄弟が戦死する。
出典:-

貞和5年・正平4年 1349年 8月24日 45歳
足利直義が高師直により出家・隠居させられる。直義は恵源と名乗る。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応1年 1350年 12月9日 46歳
足利直義が南朝に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応1年・正平5年 1350年 -月-日 46歳
子・義将が生まれる。
出典:-

観応2年・正平6年 1351年 12月15日 47歳
薩唾山の合戦で足利尊氏足利直義が戦い尊氏が勝利する。直義は尊氏に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 48歳
足利直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 54歳
足利尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 7月13日 63歳
斯波高経が死去する。
出典:-

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