人 物 史

赤松義祐 あかまつ よしすけ
生 没 年天文6年(1537)-天正4年(1576)
出 身播磨国幼 名道祖松丸
別 称次郎
法 名-
戒 名-
赤松晴政-
兄 弟 姉 妹赤松義祐、赤松則家、赤松政秀の妻
配 偶 者-
赤松則房
官 位上野介、兵部少輔、出羽守、左京大夫
役 職-
城 郭置塩城(播磨国)、新庄山城(美作国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
赤松義祐 年表
天文6年 1537年 -月-日 1歳
赤松義祐が生まれる。
出典:-

天文23年 1554年 11月2日 18歳
明石(播磨国)にて細川晴元衆の人見・香西と交戦中の赤松義祐へ援軍として安宅冬康篠原長房が明石に陣取る。
出典:『足利季世記』巻5「丹州播州エ三好勢遣之事」

天文23年 1554年 11月11日 18歳
三好長慶が明石(播磨国)に着陣する。
出典:『足利季世記』巻5「丹州播州エ三好勢遣之事」

天文23年 1554年 -月-日 18歳
赤松義祐安宅冬康の支援を受け、明石城(播磨国)を攻める。
出典:-

天文24年 1555年 1月10日 19歳
三好之虎が明石(播磨国)に攻め入る。
出典:『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

天文24年 1555年 1月13日 19歳
三好長慶が太山寺に陣取る。
出典:『足利季世記』巻5「丹州播州エ三好勢遣之事」、『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

天文24年 1555年 2月27日 19歳
三好長慶と明石氏・別所氏の和睦が成立し、長慶は播磨国に参集させていた軍勢を開陣する。
出典:『足利季世記』巻5「丹州播州エ三好勢遣之事」、『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

弘治1年 1555年 10月23日 19歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治3年 1557年 8月26日 21歳
大風および大雨によりの尼崎・別所・島尾・今津・西宮・兵庫・灘(以上、摂津国)・明石(播磨国)に津波が起こる。
出典:『足利季世記』巻5「千部経ノ事」

弘治4年 1558年 2月28日 22歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄1年 1558年 -月-日 22歳
赤松義祐が父・晴政を追放し家督を相続する。
出典:-

永禄12年 1569年 -月-日 33歳
赤松義祐浦上宗景と戦い、宗景が勝利する。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 34歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 -月-日 34歳
赤松義祐が子・則房に家督を譲る。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 37歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正3年 1575年 10月20日 39歳
赤松義祐小寺政職別所長治等が上洛し織田信長のもとに礼に訪れる。
出典:『信長公記』巻8(7)「越前御進発、賀越両国仰付けらるゝの事」

天正4年 1576年 -月-日 40歳
赤松義祐が死去する。
出典:-

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