人 物 史

真鍋貞成 まなべ さだなり
生 没 年永禄11年(1568)-明暦2年(1656)10/30
出 身-幼 名-
別 称次郎、五郎右衛門、真入斎
法 名-
戒 名-
真鍋貞友-
兄 弟 姉 妹真鍋貞成
配 偶 者-
-
官 位主馬大夫
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
真鍋貞成 年表
永禄11年 1568年 -月-日 1歳
真鍋貞成が生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 3歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 6歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正4年 1576年 5月7日 9歳
早朝より織田信長が総勢で住吉口より出陣する。先陣は佐久間信盛松永久秀細川藤孝、若江衆、二陣は滝川一益蜂屋頼隆羽柴秀吉丹羽長秀稲葉一鉄氏家直昌安藤守就、三陣は馬廻衆。午刻(11-13時)に天王寺に入り、大坂本願寺に籠る一向一揆勢と合戦。2000余を討つ勝利を収めたという。信長はこの戦いで足に鉄砲があたり負傷する。戦後、天王寺砦に佐久間信盛佐久間信栄、進藤山城守、松永久秀、松永久通、水野監物、池田孫次郎、山岡孫太郎、青地千代寿を置く。また、住吉浜に要害を築き、真鍋貞友、沼野伝内を置く。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『言継卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻9(4)「後後巻再三御合戦の事」

文禄1年 1592年 12月8日 25歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
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慶長1年 1596年 10月27日 29歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
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元和1年 1615年 7月13日 48歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

寛永1年 1624年 2月30日 57歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
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正保1年 1644年 12月16日 77歳
「寛永」より「正保」に年号が改まる。
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慶安1年 1648年 2月15日 81歳
「正保」より「慶安」に年号が改まる。
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承応1年 1652年 9月18日 85歳
「慶安」より「承応」に年号が改まる。
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明暦1年 1655年 4月13日 88歳
「承応」より「明暦」に年号が改まる。
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明暦2年 1656年 10月30日 89歳
真鍋貞成が死去する。
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