人 物 史

結城宗広 ゆうき むねひろ
生 没 年文永3年(1266)-延元4年(1339)11/21
出 身-幼 名-
別 称孫七
法 名道忠
戒 名-
結城祐広熱田範広の娘
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
結城親朝、結城親光
官 位上野介
役 職建武政権 陸奥国府評定衆
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
結城宗広 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
文永3年1266--1結城宗広が生まれる。-
元弘3年133310-68義良親王北畠顕家の輔佐として両者とともに陸奥国に下向する。『関城書裏書』
延元2年13371872義良親王北畠顕家が国府を陸奥国伊達郡の霊山(陸奥国)に移す。『桜雲記』巻之中
延元2年133712672熊野堂(陸奥国)にて結城宗広と相馬松鶴丸が戦う。『桜雲記』巻之中
延元2年133791472義良親王北畠顕家結城宗広が陸奥の軍勢を率い上洛すべく、陸奥国を発つ。『桜雲記』巻之中
延元2年1337121372利根川(上野国)にて北畠顕家と北朝勢が戦い、顕家が勝利する。『桜雲記』巻之中
延元2年1337121672安保原(武蔵国)にて北畠顕家と北朝勢が戦い、顕家が勝利する。『桜雲記』巻之中
延元2年1337122472北畠顕家新田義興、北条時行が足利義詮の拠る鎌倉(相模国)を攻め、攻め落とす。義詮は京都に敗走する。『桜雲記』巻之中
延元3年13381-73青野原(美濃国)にて北畠顕家と土岐頼遠・上杉憲顕・今川範国・吉良満義・高師兼が戦い、顕家が勝利する。『桜雲記』巻之中
建武5年13382473足利尊氏北畠顕家に応戦するため、京都より近江国に高師泰・細川頼春を遣わす。『桜雲記』巻之中
建武5年13382673黒地川にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦う。『桜雲記』巻之中
建武5年133821473雲津川・墨俣川口にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦い、顕家が勝利する。『桜雲記』巻之中
建武5年133822873南都にて北畠顕家と北朝勢が戦い、北朝勢が勝利する。義良親王は吉野へ、顕家は河内国に逃れる。『桜雲記』巻之中
延元3年133852273石津の合戦で北畠顕家が高師直と戦い、師直が勝利する。顕家は阿倍野にて戦死する。『桜雲記』巻之中
延元3年1338閏72573義良親王、宗良親王、北畠親房・顕信父子、結城宗広が東国に下るべく伊勢国に赴く。『桜雲記』巻之中
暦応2年・延元4年1339112174結城宗広が死去する。-
人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.