地 名 の 歴 史

佐和山(近江国) 年表
天正13年 1585年 9月3日 
羽柴秀吉が大和国へ向かう。
秀吉が分国中で国替を実施。大和国の筒井定次を伊賀国に、大和国を弟・秀長に、高山重友を明石(播磨国)に、堀秀政佐和山(近江国)から北之庄(越前国)30万石に、中川秀政を三木(播磨国)に移封する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

文禄5年 1596年 1月23日 
佐和山(近江国)にいる島清興の病状回復を伝える清興書状が多聞院英俊のもとに届く。
出典:『多聞院日記』同年月日条

慶長6年 1601年 10月13日 
徳川家康が永原(近江国)を発ち、佐和山(近江国)に宿泊する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長6年 1601年 10月14日 
徳川家康が佐和山(近江国)を発ち、大垣(美濃国)に宿泊する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長6年 1601年 10月15日 
徳川家康が大垣(美濃国)を発ち、岐阜(美濃国)に宿泊する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長19年 1614年 10月22日 
徳川家康が永原(近江国)に到着する。京都(山城国)より板倉勝重の飛脚が家康のもとに到着する。大坂城(摂津国)攻めのため京都に到着した先陣諸勢の兵粮米について、(和泉国)の南北町中より支出の旨、申し出がったことを報告する。
家康が竹中重利を召し出し、福島忠勝とともに安芸国・備後国に赴き軍勢を整え、大坂(摂津国)まで出陣するように指示する。また、備後国には鍛冶が多くいるので、鉄楯を生産するように指示する。
家康が大坂に居住し、この日、永原に到着した前庭を召し出し、豊臣秀頼の軍備の様子を尋ねる。前庭は万事が淀殿の意向で決まるので、配下は困惑していると伝える。
井伊直孝勢が伏見城(山城国)に到着した軍勢を閲兵する。
出典:『駿府記』同年月日条、『福富半右衛門親政法名浄安覚書

慶長19年 1614年 11月5日 
徳川秀忠が佐和山(近江国)に到着する。
出典:『当代記』同年月日条

慶長20年 1615年 閏6月18日 
井伊直孝二条城(山城国)にいる徳川家康のもとに礼に赴く。16日に徳川秀忠が直孝を侍従に任じることを約したことへの礼という。家康は大坂城(摂津国)攻めにおける直孝の武功を賞し、佐和山(近江国)近辺にて長浜領50000石を加増し、加えて金銀分銅を賜う。
出典:『駿府記』同年月日条

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