地 名 の 歴 史

美作国[国] みまさかのくに
初 見-
美作国
英田郡、吉野郡、勝田郡、勝南郡、勝東郡、苫東郡、苫北郡、苫南郡、苫西郡、東北条郡、東南条郡、西北条郡、西西条郡、久米郡、久米南条郡、久米北条郡、大庭郡、真島郡
荘 園-
中 世 高-
近 世 領 主-
近 世 石 高-
鎮 守-
神 社-
寺 院-
城 郭美作国の城郭
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
美作国[国] 年表
天正7年 1579年 2月-日 
毛利輝元吉川元春吉川元長吉川広家小早川隆景率いる毛利勢40000が宇喜多直家領の美作国に向けて出陣する。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」

天正7年 1579年 9月12日 
毛利輝元吉川元春吉川元長吉川広家小早川隆景率いる毛利勢が宇喜多家の小寺畑城(美作国)を攻め落とす。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」

天正7年 1579年 9月16日 
毛利輝元吉川元春吉川元長吉川広家小早川隆景率いる毛利勢が宇喜多家の大寺畑城(美作国)を包囲する。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」

慶長8年 1603年 2月6日 
徳川家康が、森忠政に美作国一国186500石余を給付し、津山城(美作国)城主として、子・松平忠輝に川中島(信濃国)を給付し、松代城(信濃国)城主とする。
出典:『海津城主次第』、『寛政重修諸家譜』巻第126「森忠政」の項、『当代記』巻3同年月日条

慶長20年 1615年 2月28日 
池田家の飛脚が駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに到着し、22日に池田忠継が死去したことを徳川家康に伝える。取次は本多正純。家康は驚き、愁傷する。家康は忠継の兄・池田利隆と忠継の舅・森忠政のもとに森可澄を遣わし、備前国の仕置きをするように命じる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和9年 1623年 6月16日 
森可政津山城(美作国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第127「森可政」の項

寛永11年 1634年 7月7日 
森忠政が京都(山城国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第126「森忠政」の項

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