マンガでみる日本の歴史
マンガで日本の歴史を紹介します。
歴史をたどると何気ないことですが今にも通じるおもしろい日常の話がたくさんあります。
けれども、歴史資料だけではイメージがわかずわかりにくい。
そこで史料にあることをマンガにしてみました。楽しんでいただけると嬉しいです。

和暦 西暦 マンガ 出来事 史料・画像
建武2年 1335 8 -
マンガ:
菅浦の百姓 供御人となる
菅浦の百姓が鯉30匹、麦1石4斗4升、枇杷2駄、大豆1石3斗4升を納めることで供御人身分を獲得する。 建武2年8月日付菅浦供御人申状『菅浦文書』上巻398号
延元3年 1338 5 29
マンガ:
後醍醐天皇の情報戦
後醍醐天皇が阿蘇氏に援軍を求める綸旨を発給する。 延元3年5月29日付後醍醐天皇綸旨「肥後阿蘇家文書」 『南北朝遺文』九州編1-1179号
暦応4年 1341 4 3
マンガ:
絵本太平記
塩冶判官讒死の事
塩冶高貞の妻に横恋慕した高師直が、高貞の妻を手に入れるため高貞が南朝に内通していると足利尊氏に讒言。高貞家族は逃亡するが、別の道を通っていた妻と子息が追討軍に追いつかれ自害。それを聞いた高貞も自害した。 『太平記』巻21「塩冶判官讒死の事」
永和2年 1376 10 29
マンガ:
東寺領荘園播磨国矢野荘の年貢輸送交通費
東寺領荘園播磨国矢野荘の年貢輸送ルートについて丹波路と定められていたが、荘民が丹波路を通っていたところ「抜群物」に襲われたため山陽道を通る。東寺は荘民の行動を不可として輸送に要した関銭を丹波路分だけ支出する。 『学衆方評定引付』永和2年11月晦日条「東寺百合文書」
応永1年 1394 7
7
16
28

マンガ:
祈祷のチカラ
播磨守護 赤松義則が東寺領荘園播磨国矢野荘に陣夫役・千草山材木引・相国寺塔婆材木引(足利義詮33回忌供養のため)を賦課。義則が興福寺に在陣するにおよび、東寺は赤松の戦勝祈願として東寺の各住坊にて百座不動供を執行。巻数をしつらえ赤松に贈る。赤松はその礼として陣夫役・千草山材木引は免除するが、相国寺塔婆材木引については足利義満の命によるものであるため免除を得られなかった。 『学衆方評定引付』永和1年7月16日・28日条「東寺百合文書」
文明16年 1484 7 24
マンガ:高札のチカラ
勧進聖が高札を立て、十万部経勧進の開催を告知。8月10日に長谷寺礼堂において十万部経勧進が実施される。 『大乗』同年月日条8月13日条
文亀1年 1501 6 17
マンガ:
日根野荘民質取事件
日根野荘内大木村の住人が佐野市場で何者かに拉致される。大木村は佐野村に報復をしようとするが、拉致された百姓の一人が自力で脱出。守護による犯行であることがわかり、日根野荘領主の九条政基が守護に訴える。 『政基公旅引付』同年月日条
文亀1年 1501 8 28
マンガ:
日根野荘に守護勢侵入
日根野荘日根野村に守護被官・日根野光盛が侵入。日根野村の代表百姓・刑部太郎と脇百姓を拉致する。入山田村内の土丸村衆が救出に動き、また九条政基の家来・信濃小路長盛と石井在利が入山田村勢を率い日根野光盛と矢戦をする。戦は入山田村が日根野光盛に勝利するが、村への守護勢の侵入に嫌気がさした日根野村村人は逃散を決意。政基を制止するものの村人は応ぜず、逃散が始まる。 『政基公旅引付』同年月日条
天文10年 1541 - -
マンガ:
天文芸予の乱
1541-1548頃にかけて戦国大名大内義隆と村上海賊衆が芸予諸島にて戦闘。 大内氏が勝利する。これにより、村上海賊衆が商人たちに瀬戸内海のいたるところで賦課 していた唐荷駄別銭が堺・厳島に限定される。また、義隆死後、大内義長・陶晴賢の頃には 厳島での徴収も禁止となり、堺のみとなる。 5月21日付大内氏奉行人連署奉書「野坂文書」『広島県史』中世資料 編第二巻

4月20日付陶晴賢書状案「大願寺文書」『広島県史』中世資料編第三巻
天文22年 1553 2 21
マンガ:
文書偽造は犯罪です
京都の城つくり松田政秀が文書偽造の罪により処刑される。 聖同宿申状「本願寺文書」
天文22年 1553 12 18
マンガ:
戦国の勧進
清水寺成就院編
武田晴信が信濃国を平定。晴信が清水寺本願 成就院に奉加として黄金10両を納める。 12月18日付武田晴信書状「成就院文書」
慶長4年 1599 2 26
マンガ:
燃える東寺五重塔を鎮火せよ!
落雷により東寺五重塔心柱が出火。木食応其ら高野山法師が鎮火する。 『義演准后日記』同年月日条




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