承久3年 1221年 5月-日 |
島津忠久が信濃国太田荘の地頭職に補任される。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠久」の項 |
承久3年 1221年 6月14日 |
宇治川(山城国)にて幕府軍と後鳥羽上皇軍が戦い、幕府軍が勝利する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項 |
承久3年 1221年 7月10日 |
島津忠久が越前国守護職に補任される。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠久」の項 |
承久3年 1221年 7月13日 |
後鳥羽上皇が隠岐国に配流となる。 |
出典:『北条九代記』上 |
承久3年 1221年 7月20日 |
北条義時が長沼宗政を淡路国守護および同国笑原保・上田保地頭職に補任する。 |
出典:同年月日付北条義時下知状(「皆川文書」) |
承久3年 1221年 8月25日 |
源実朝が島津忠時に生部荘(越前国)、久安保重富の地頭職を給付する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項 |
承久3年 1221年 閏10月15日 |
島津忠時が長田郷(伊賀国)の地頭職に補任される。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項 |
承久3年 1221年 -月-日 |
義空が大報恩寺を創建する。 |
出典:- |
貞応1年 1222年 4月13日 |
「承久」より「貞応」に年号が改まる。 |
出典:- |
貞応1年 1222年 5月12日 |
高野山大塔の修造につき南海道諸国司に対し良印の勧進に協力するよう太政官符が発給される。 |
出典:貞応1年5月12日付太政官符『高野山文書』巻1-8号 |
貞応1年 1222年 9月25日 |
高野山大塔の修造につき北条義時が五畿七道の御家人地頭住人に相応の奉加に応じるよう下知する。 |
出典:貞応1年9月25日付北条義時下知状『高野山文書』巻1-9号 |
貞応2年 1223年 6月6日 |
島津忠時が興福寺荘(近江国)の地頭職に補任される。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項 |
貞応3年 1224年 6月13日 |
北条義時が死去する。 |
出典:- |
貞応3年 1224年 9月7日 |
島津忠時が櫛無(讃岐国)の地頭職に補任される。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項 |
元仁1年 1224年 11月20日 |
「貞応」より「元仁」に年号が改まる。 |
出典:- |
元仁1年 1224年 -月-日 |
親鸞が『顕浄土教行証文類』6巻を著す。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」 |
嘉禄1年 1225年 -月-日 |
島津久経が生まれる。 『寛政重修諸家譜』巻第108「清和源氏 為義流 島津」「島津久経」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠久」の項 |
嘉禄1年 1225年 4月20日 |
「元仁」より「嘉禄」に年号が改まる。 |
出典:- |
嘉禄1年 1225年 -月-日 |
島津忠久が従五位下・大夫判官に叙位・任官。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠久」の項 |
嘉禄2年 1226年 10月22日 |
長谷寺再建につき供養会を執り行う。諸人参詣する。 |
出典:『百錬抄』同年月日条) |
嘉禄3年 1227年 5月14日 |
北条時頼が生まれる。 |
出典:- |
嘉禄3年 1227年 6月18日 |
島津忠久が鎌倉(相模国)にて死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠久」の項 |
安貞1年 1227年 12月10日 |
「嘉禄」より「安貞」に年号が改まる。 |
出典:- |
寛喜1年 1229年 3月5日 |
「安貞」より「寛喜」に年号が改まる。 |
出典:- |
寛喜2年 1230年 2月27日 |
北条長時が生まれる。 |
出典:- |
貞永1年 1232年 4月2日 |
「寛喜」より「貞永」に年号が改まる。 |
出典:- |
嘉禎4年 1238年 4月4日 |
松殿師家が死去する。 |
出典:『北条九代記』上 |
貞永1年 1232年 9月6日 |
松殿師家が出家する。 |
出典:『北条九代記』上 |
天福1年 1233年 4月15日 |
「貞永」より「天福」に年号が改まる。 |
出典:- |
文暦1年 1234年 11月5日 |
「天福」より「文暦」に年号が改まる。 |
出典:- |