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弘長2年 1262年 11月28日
午刻(11-13時)、善法院(押小路南・万里小路東)にて親鸞が死去する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

弘長2年 1262年 -月-日
島津忠時が剃髪し道仏と号す。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項

弘長3年 1263年 11月22日
北条時頼が死去する。
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文永1年 1264年 2月28日
「弘長」より「文永」に年号が改まる。
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文永1年 1264年 8月21日
北条長時が死去する。
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文永3年 1266年 -月-日
結城宗広が生まれる。
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文永4年 1267年 -月-日
二階堂貞藤が生まれる。
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文永6年 1269年 4月8日
島津貞久が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第108「清和源氏 為義流 島津」「島津貞久」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津貞久」の項

文永7年 1270年 12月28日
覚如が山城国三条富小路にて生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

文永8年 1271年 -月-日
土岐頼貞が生まれる。
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文永8年 1271年 12月12日
北条貞時が生まれる。
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文永9年 1272年 4月10日
島津忠時が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項

文永10年 1273年 5月27日
北条政村が死去する。
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文永11年 1274年 8月1日
宗尊親王が死去する。
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文永11年 1274年 12月-日
清水寺の本願堂、車宿、西門廊、大門、塔2基が焼失する。観音堂、阿弥陀堂、地主神社は焼失を免れる。
出典:「清水寺文書」

建治1年 1275年 4月25日
「文永」より「建治」に年号が改まる。
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建治3年 1277年 -月-日
赤松則村が生まれる。
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建治4年 1278年 1月11日
文観が播磨国北条郷大野にて生まれる。
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弘安1年 1278年 2月29日
「建治」より「弘安」に年号が改まる。
出典:-

弘安3年 1280年 3月15日
火災により長谷寺の鎮守拝殿、薬師堂、社壇3所、十三重塔、鐘楼、廻廊、観音堂、観音堂本尊、食堂、僧坊4・5ヶ所が焼失する。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 3月16日
長谷寺の正殿の仮屋の造営を始める。大工は吉宗。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 3月24日
往生院長老・過阿弥陀仏を長谷寺の大勧進とする。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 4月8日
長谷寺の正殿の仮屋が完成する。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 6月3日
長谷寺の礼堂下屋の柱立を始める。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 6月9日
鎮守三所本宮仮屋遷宮。長谷寺の全寺僧・宮人が供奉する。問答講・神楽が行われる。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 6月10日
頂上仏小面等が正堂仮屋の宝座に移る。長谷寺の全ての者が供奉。不断供花・法華経読誦・昼夜朝暮の勤行が正殿仮屋で行われる。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 6月12日
長谷寺の本尊の手釿始。仏所は正堂東縁に設けられる。大仏師は運実、仏師は堪康・慶秀。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 7月18日
長谷寺の本尊の開眼として曼荼羅供を修す。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安3年 1280年 10月-日
覚信尼が如信を大谷寺務とする。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

弘安4年 1281年 8月4日
長谷寺の鎮守滝蔵三所の手釿始。大工は国光(供4名)と寺大工吉宗(供14名)。鍛冶は宗友。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

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