嘉禎1年 1235年 9月19日 |
「文暦」より「嘉禎」に年号が改まる。 |
出典:- |
嘉禎4年 1238年 3月30日 |
小山朝政が死去する。 |
出典:- |
暦仁1年 1238年 11月23日 |
「嘉禎」より「暦仁」に年号が改まる。 |
出典:- |
延応1年 1239年 -月-日 |
如信が生まれる。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」 |
延応1年 1239年 2月7日 |
「暦仁」より「延応」に年号が改まる。 |
出典:- |
延応1年 1239年 2月22日 |
後鳥羽上皇が死去する。 |
出典:『北条九代記』上 |
延応1年 1239年 3月19日 |
九条道家が長谷寺に参詣する。 |
出典:『百錬抄』同年月日条) |
仁治1年 1240年 7月16日 |
「延応」より「仁治」に年号が改まる。 |
出典:- |
仁治3年 1242年 2月22日 |
島津忠時に生部荘(越前国)の地頭職の替として和田郷(和泉国)の地頭職に補任される。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項 |
仁治3年 1242年 4月3日 |
叡尊が長谷寺において104人に菩薩戒を授ける。 |
出典:『感身学正記』上 同年月日条) |
仁治3年 1242年 6月15日 |
北条泰時が死去する。 |
出典:- |
仁治3年 1242年 11月22日 |
宗尊親王が生まれる。 |
出典:- |
寛元1年 1243年 2月26日 |
「仁治」より「寛元」に年号が改まる。 |
出典:- |
寛元3年 1245年 4月6日 |
北条朝時が死去する。 |
出典:- |
宝治1年 1247年 2月28日 |
「寛元」より「宝治」に年号が改まる。 |
出典:- |
宝治1年 1247年 8月-日 |
清水坂、六波羅蜜寺の門・鎮守社、建仁寺が焼失する。 |
出典:『歴代編年集成』同年月条 |
建長1年 1249年 3月18日 |
「宝治」より「建長」に年号が改まる。 |
出典:- |
建長3年 1251年 -月-日 |
島津忠宗が生まれる。 『寛政重修諸家譜』巻第108「清和源氏 為義流 島津」「島津忠宗」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠宗」の項 |
建長6年 1254年 -月-日 |
足利義氏が死去する。 |
出典:- |
康元1年 1256年 10月5日 |
「建長」より「康元」に年号が改まる。 |
出典:- |
康元2年 1257年 2月28日 |
壬生寺が焼失する。 |
出典:『山城名勝志』4「洛陽」 |
正嘉1年 1257年 3月14日 |
「康元」より「正嘉」に年号が改まる。 |
出典:- |
正嘉1年 1257年 5月-日 |
大和権守土師守貞が壬生寺の金鼓を鋳る。 |
出典:『諸国図会年中行事大成』2下 |
正嘉3年 1259年 2月28日 |
壬生寺が再興する。 |
出典:『山城名勝志』4「洛陽」 |
正元1年 1259年 3月26日 |
「正嘉」より「正元」に年号が改まる。 |
出典:- |
正元1年 1259年 4月27日 |
清水寺の本願堂、地蔵堂、小神二社、塔2基、検非違使宿、中門上下向刻階廊、車寄、僧房等が焼失する。観音堂、阿弥陀堂、釈迦堂、地主神社、大門、車宿等は焼失を免れる。 |
出典:「清水寺文書」 |
正元1年 1259年 11月12日 |
宇都宮頼綱が死去する。 |
出典:- |
文応1年 1260年 4月13日 |
「正元」より「文応」に年号が改まる。 |
出典:- |
弘長1年 1261年 2月20日 |
「文応」より「弘長」に年号が改まる。 |
出典:- |
弘長1年 1261年 11月3日 |
北条重時が死去する。 |
出典:- |