総年表 検索


和暦 :   西暦 :   月  日 
事項 :   
出典 :   


弘安4年 1281年 8月28日
長谷寺の鎮守滝蔵三所の棟上。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安4年 1281年 9月-日
長谷寺の鎮守滝蔵三所の造営がなる。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

弘安4年 1281年 11月11日
長谷寺の鐘を鋳る。長さ5尺、口3尺3寸、口厚3寸3分。大工は藤井友頼、引頭は葛木友包。
出典:『弘安三年長谷寺建立秘記』(『長谷寺編年資料』より引用)

文永7年 1284年 閏4月21日
島津久経が筥崎(筑前国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津久経」の項

弘安9年 1286年 -月-日
北条基時が生まれる。
出典:-

弘安9年 1286年 10月20日
覚如が剃髪する。広橋兼仲の猶子となり、勘解由小路法印と称す。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

弘安10年 1287年 11月19日
大谷にて如信が覚如が真宗要訣を授ける。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

弘安10年 1287年 -月-日
園城寺浄花坊の住僧・証賢が園城寺を出て、花開院に隠遁する。
出典:『真如堂縁起』

正応1年 1288年 4月28日
「弘安」より「正応」に年号が改まる。
出典:-

正応1年 1288年 11月2日
後醍醐天皇が生まれる。
出典:-

正応5年 1292年 -月-日
菊池武時が生まれる。
出典:-

正応5年 1292年 5月5日
武田信武が生まれる。
出典:-

正応6年 1293年 1月-日
北畠親房が生まれる。
出典:-

永仁1年 1293年 8月5日
「正応」より「永仁」に年号が改まる。
出典:-

永仁2年 1294年 -月-日
楠木正成が生まれる。
出典:-

永仁2年 1294年 -月-日
覚如が『報恩講式』3章を著す。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

永仁3年 1295年 10月-日
覚如が『親鸞本伝』2巻を著し、康楽寺浄画に絵を描かせ、伝記に副える。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

永仁3年 1295年 11月24日
後深草法皇が長谷寺に参詣する。
出典:『興福寺略年代記』同年月日条

永仁4年 1296年 -月-日
細川和氏が生まれる。
出典:-

永仁4年 1296年 -月-日
佐々木道誉が生まれる。
出典:-

正安1年 1299年 -月-日
細川頼春が三河国にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川頼春」の項

正安1年 1299年 4月25日
「永仁」より「正安」に年号が改まる。
出典:-

正安2年 1300年 1月4日
陸奥国にて如信が死去する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

正安2年 1300年 3月6日
清水寺の塔供養が執り行われる。導師は隆遍。
出典:「清水寺文書」

正安3年 1301年 -月-日
新田義貞が生まれる。
出典:-

正安3年 1301年 12月-日
覚如が長井道信の請いに応じ『吉水本伝九巻絵詞』を著す。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第1「歴世宗主伝第一」

乾元1年 1302年 -月-日
宇都宮公綱が生まれる。
出典:-

正安4年 1302年 7月8日
大雨大風により長谷寺の坊舎が流失する。
出典:『興福寺略年代記』同年月日条

乾元1年 1302年 11月21日
「正安」より「乾元」に年号が改まる。
出典:-

嘉元1年 1303年 -月-日
山名時氏が生まれる。
出典:-

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.