人 物 史

三好之虎 みよし ゆきとら
生 没 年大永7年(1527)-永禄5年(1562)3/5
出 身-幼 名千満丸
別 称彦次郎、之相、物外軒
法 名実休
戒 名妙国院殿光徳実休大居士
三好元長-
兄 弟 姉 妹三好長慶三好之虎安宅冬康十河一存、野口冬長
配 偶 者久米義広の娘、小少将(岡本牧西の娘)
三好長治、十河存保、安宅神五郎、新開実綱の妻
官 位豊前守
役 職-
城 郭勝瑞城(阿波国)、高屋城(河内国)
参 考 文 献三好之虎に関する参考文献
関 連 デ ー タ史料にみえる三好之虎の呼称
三好之虎の関連文化財
三好之虎 年表
大永7年? 1527?年 -月-日 1歳
三好之虎が生まれる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 2歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

享禄5年 1532年 6月20日 6歳
細川晴元本願寺証如に要請して馳せ集まった摂津・河内・和泉の一向一揆100000に、父・三好元長の居所であるの顕本寺が攻められる。追い詰められた元長は、三好一秀、塩田若狭守、加地丹波守等とともに自害する。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条、『言継卿記』同年月22日条

天文1年 1532年 7月29日 6歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 8月9日 6歳
三好千熊丸千満丸兄弟が連署で父・元長の菩提所である見性寺に阿波国上郡山本分を寄進する。
出典:天文1年8月9日付三好長慶・三好実休連署書下(「見性寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-101号)

天文3年 1534年 -月-日 8歳
足利義維が志筑(淡路国)に下向し、当地に居す。
出典:『阿州将裔記』「足利義冬より之系図」

天文3年 1534年 -月-日 8歳
足利義維が平島荘(阿波国)に下向し、当地に居す。
出典:『阿州将裔記』「足利義冬より之系図」

天文8年 1539年 10月-日 13歳
三好之虎が白峰寺に軍勢の乱暴狼藉、山林・竹木の伐採、放火、白峰寺への寄宿・兵糧米の賦課を禁じる禁制を発給する。
出典:天文8年10月日付三好実休禁制(「白峰寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-131号)

天文15年 1546年 11月11日 20歳
三好之虎大山崎荘(山城国)に三好勢による濫妨狼藉、竹木伐採、矢銭・兵糧米の賦課を停止する禁制を発給する。
出典:天文15年11月11日付三好実休禁制(「離宮八幡宮文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-184号)

天文15年 1546年 12月6日 20歳
本願寺証如三好長慶三好之虎三好政長、山中三郎太郎、山中橘左衛門、三木与左衛門、塩田に音信として綿を送る。使者は芝田宗九郎。
出典:『天文日記』同年月日条

天文15年 1546年 12月10日 20歳
三好之虎本能寺に三好勢による濫妨狼藉、竹木伐採、寄宿、矢銭・兵糧米の賦課を停止する禁制を発給する。
出典:天文15年12月10日付三好実休禁制(「本能寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-185号)

天文16年 1547年 3月24日 21歳
三好之虎が勝尾寺に三好勢による濫妨狼藉、山林・竹木伐採、矢銭・兵糧米の賦課を停止する禁制を発給する。
出典:天文16年3月24日付三好実休禁制(「勝尾寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-187号)

天文16年 1547年 3月-日 21歳
三好之虎が下桂(山城国)に三好勢による乱入狼藉、山林・竹木伐採、矢銭・兵糧米の賦課を停止する禁制を発給する。
出典:天文16年3月日付三好実休禁制(「北川家文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-188号)

天文16年 1547年 4月1日 21歳
細川晴元三好長慶ら淡路・四国衆30000をもって足利義晴義藤父子が籠城する北白川城(山城国)を攻める。
出典:『足利季世記』巻4「公方御入城ノ事」

天文16年 1547年 4月10日 21歳
足利義晴義藤父子が籠城する北白川城(山城国)を攻めていた三好長慶ら淡路・四国衆30000が摂津国国衆の制圧を優先した細川晴元の命により摂津国に引き上げる。
出典:『足利季世記』巻4「公方御入城ノ事」

天文16年 1547年 6月25日 21歳
三好之虎が賀茂社領境内宛に三好勢の乱入・狼藉、山林竹木伐採、矢銭・兵糧米の賦課を禁止する禁制を発給する。
出典:天文16年6月25日付三好実休禁制(「賀茂別雷神社文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-194号)

天文16年 1547年 7月12日 21歳
三好之虎が軍勢を率い尼崎(摂津国)に向かう。
出典:『足利季世記』巻4「公方御入城ノ事」

天文16年 1547年 7月21日 21歳
舎利寺の合戦にて、三好之虎安宅冬康・松浦肥前守・畠山上総介・遊佐越中守と畠山政国・細川四郎・遊佐長教が戦い三好勢他が勝利する。
出典:『足利季世記』巻4「舎利寺合戦ノ事附晴元定頼免許ノ事」

天文16年 1547年 7月24日 21歳
三好之虎安宅冬康、畠山上総介がに入り河内国攻めの評定を開く。
出典:『足利季世記』巻4「舎利寺合戦ノ事附晴元定頼免許ノ事」

天文16年 1547年 8月11日 21歳
三好長慶三好之虎安宅冬康が河内国に攻め入り若林に陣取る。畠山政国の籠る高屋城(河内国)から出撃してきた畠山家足軽と三好長慶が戦う。
出典:『足利季世記』巻4「舎利寺合戦ノ事附晴元定頼免許ノ事」

天文17年 1548年 4月24日 22歳
細川晴元と畠山政国が和睦する。晴元勢(三好長慶三好之虎安宅冬康等)が、若林(河内国)の陣所を払いへ移る。
出典:『足利季世記』巻4「細川玄蕃頭討死ノ事」

天文17年 1548年 5月2日 22歳
三好長慶越水城(摂津国)に帰陣する。
出典:『足利季世記』巻4「細川玄蕃頭討死ノ事」

天文18年 1549年 1月19日 23歳
三好長慶の合力として阿波衆・畠山衆が欠郡(摂津国)に入る。
出典:『足利季世記』巻4「方浜合戦ノ事」

天文20年 1551年 3月14日 25歳
三好長慶伊勢貞孝邸を訪れる。貞孝邸で長慶と貞孝が将棋をさす。その後、乱舞が行われる。夕方、奉公衆・進士賢光が長慶に斬りかかり傷を負わせる。負傷した長慶は山崎(山城国)に移る。
宇津(丹波国)より香西元成・柳本・宇津・三好政勝の軍勢が京都に入り伊勢貞孝邸を焼き討ちする。同軍勢は西賀茂・正伝寺(山城国)に陣取る。
出典:『言継卿記』同年月14・15日条

天文20年 1551年 9月-日 25歳
三好之虎東寺・同境内に軍勢の乱暴狼藉、陣取・寄宿、竹木の伐採、矢銭・兵糧米の賦課、放火を禁じる禁制を発給する。
出典:天文20年9月日付三好之相禁制(東寺百合文書WEB「東寺百合文書」ヤ函192)

天文22年 1553年 6月9日 27歳
三好之虎が細川持隆を見性寺に攻め自害に追い込む。
出典:『足利季世記』巻5「細川讃岐守生害ノ事」

天文22年 1553年 -月-日 27歳
子・長治が生まれる。
出典:『南海通紀』巻11「阿波屋形長治不弁国家存亡記」

天文23年 1554年 12月-日 28歳
三好之虎大徳寺・諸塔頭門前に軍勢の乱暴狼藉、竹木の伐採・陣取、矢銭・兵糧米の賦課を禁じる禁制を発給する。
出典:天文23年12月日付三好之虎禁制(『大徳寺文書』1巻-264号)

天文24年 1555年 1月10日 29歳
三好之虎が明石(播磨国)に攻め入る。
出典:『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

天文24年 1555年 1月13日 29歳
三好長慶が太山寺に陣取る。
出典:『足利季世記』巻5「丹州播州エ三好勢遣之事」、『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

天文24年 1555年 2月27日 29歳
三好長慶と明石氏・別所氏の和睦が成立し、長慶は播磨国に参集させていた軍勢を開陣する。
出典:『足利季世記』巻5「丹州播州エ三好勢遣之事」、『陰徳太平記』巻24「赤松晴政攻播州明石並三木城事」

弘治1年 1555年 10月23日 29歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 1月5日 32歳
朝、千宗易、北向道陳、今井宗久三好物外軒の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

弘治4年 1558年 2月28日 32歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄1年 1558年 8月18日 32歳
三好之虎が兵庫浦(摂津国)に到着する。
出典:『足利季世記』巻5「公方勝軍地蔵エ出張之事」

永禄1年 1558年 8月24日 32歳
三好之虎が西宮(摂津国)に到着する。
出典:『足利季世記』巻5「公方勝軍地蔵エ出張之事」

永禄1年 1558年 8月30日 32歳
三好之虎尼崎(摂津国)に到着する。
出典:『足利季世記』巻5「公方勝軍地蔵エ出張之事」

永禄1年 1558年 9月18日 32歳
にて三好長慶三好之虎安宅冬康十河一存の4兄弟が集まる。
出典:『足利季世記』巻5「公方勝軍地蔵エ出張之事」

永禄1年 1558年 12月22日 32歳
三好之虎安宅冬康から尼崎(摂津国)に入る。
出典:『足利季世記』巻5「高政高屋城ヲ出ル事」

永禄3年 1560年 4月8日 34歳
洲本(淡路国)にて、不和となっていた三好長慶三好之虎が会見する。之虎は出家し物外軒実休と号す。
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」

永禄3年 1560年 5月16日 34歳
三好長慶畠山高政が断交する。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永禄3年 1560年 6月24日 34歳
畠山高政討伐のため三好長慶の催促をうけた三好実休が四国衆を率い尼崎(摂津国)に到着する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月3日 34歳
玉櫛(河内国)にて畠山高政三好実休が戦い、実休が勝利する。実休は若井(河内国)を攻める。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月7日 34歳
三好実休が太田・若林(河内国)に陣替えする。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月19日 34歳
三好実休が富田林(河内国)に陣取る。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月22日 34歳
大窪にて三好実休安見宗房が戦い、実休が勝利する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月24日 34歳
松永久秀畠山高政方の井戸若狭守が籠る井戸城(大和国)を攻める。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 8月30日 34歳
三好実休高屋城(河内国)近所に攻め寄せる。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 8月-日 34歳
井戸若狭守が松永久秀に降伏し井戸城(大和国)を明け渡す。
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」

永禄3年 1560年 9月9日 34歳
高屋城(河内国)東の河原口にて伊丹親興と貴志・丹下・野尻が率いる畠山勢と交戦し、親興が勝利する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 10月8日 34歳
畠山高政の籠る飯盛山城(河内国)の後詰として香西元成、山中新左衛門、木沢新太郎が杉山口(山城国)に遣わされるが三好長慶勢に敗れる。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 10月15日 34歳
根来寺衆の杉坊・岩室が率いる軍勢500が高屋城(河内国)の後詰としてやってくるが、高屋城を包囲する三好勢が打ち破る。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 10月24日 34歳
飯盛山城(河内国)の安見宗房が城を三好長慶に明け渡しに逃れる。
高屋城(河内国)の畠山高政遊佐信教が城を長慶に明け渡しに逃れる。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 11月13日 34歳
畠山高政方の万歳大和守が降伏し万歳城(大和国)を松永久秀に明け渡す。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 11月13日 34歳
飯盛山城(河内国)に入城する。
三好実休高屋城(河内国)に入城する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 11月18日 34歳
畠山高政方の長谷の桜坊が降伏し城を松永久秀に明け渡す。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 11月24日 34歳
畠山高政方の澤・日の牧城が松永久秀に降伏する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄4年 1561年 3月18日 35歳
弟・十河一存が死去する。
出典:-

永禄4年 1561年 -月-日 35歳
畠山高政根来寺衆・紀伊国衆が岸和田(和泉国)に出陣し、安見宗房遊佐信教もそれに応じるとの報をうけ、高屋城(河内国)に在番していた三好実休が大将として安宅冬康三好康長三好政勝・三好盛政・吉成勘助・篠原長房の軍勢7000を率い畠山勢と対陣する。
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」

永禄4年 1561年 -月-日 35歳
勝軍地蔵城(山城国)に入った永原安芸守率いる六角勢10000に対処すべく京都の三好勢の総大将として三好義興が梅津(山城国)に在陣する。松永久秀が西院(山城国)に在陣する。
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」

永禄4年 1561年 11月24日 35歳
三好義興松永久秀が勝軍地蔵城(山城国)に攻め寄せ六角義賢と交戦する。三好勢は城を落とすことができずに撤退する。この戦いで、六角方は永原安芸守が、三好方は三郷主膳助が戦死する。
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」

永禄5年 1562年 3月5日 36歳
久米田(河内国)にて畠山高政安見宗房遊佐信教根来寺衆と三好実休が戦い、実休が戦死する。実休の辞世「草からす 霜又今朝ノ 日に消て 報の程は 終にのかれず」。
この戦いにより高屋城(河内国)が落ちるとともに、三好長慶の居城・飯盛山城を除く河内国の三好方の諸城が畠山高政方に靡く。
出典:『厳助往年記』同年月6日条、『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」

永禄5年 1562年 3月6日 
三好実休が戦死したため、安宅冬康は在番していた岸和田城(和泉国)を放棄する。同城は畠山高政の支配下となる。
足利義輝が慶寿院とともに八幡(山城国)に移る。
六角義賢が勝軍地蔵城(山城国)から清水坂に陣を移す。
三好長慶山崎(山城国)に撤退する。
出典:『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」

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