人 物 史

朽木稙綱 くつき たねつな
生 没 年?-?
出 身近江国朽木谷幼 名竹松
別 称-
法 名-
戒 名-
朽木材秀-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者月心宗梅(葉室頼継の娘)
朽木晴綱、朽木藤綱、朽木成綱、朽木直綱、朽木輝孝
官 位民部少輔
役 職室町幕府内談衆 御供衆
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
朽木稙綱 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
-----朽木稙綱が生まれる。-
天文5年153692-足利義晴が隠居を表明し、子・菊童丸に家督を譲る。政務について、奉行衆として大舘常興大舘晴光摂津元造細川高久海老名高助本郷光泰荒川氏隆朽木稙綱を指名する。『巌助往年記』同年月日条
天文6年153711-細川晴元、外様衆の細川元常、細川陸奥守、細川二郎四郎、摂津元造、二階堂左衛門尉、御供衆の大舘常興大舘晴光、大舘兵庫頭、畠山民部大輔、上野与三郎、大舘治部大輔、朽木稙綱、伊勢兵庫助が出仕する。足利義晴足利菊童丸への取次は荒川氏隆『言継卿記』同年月日条
天文6年153716-朽木稙綱山科言継のもとに礼に訪れる。『言継卿記』同年月日条
天文6年153728-飛鳥井雅綱邸にて歌会始が行われる。参加者は、甘露寺、山科言継、雅綱、細川陸奥守、大舘兵庫頭、朽木稙綱、細川刑部少輔、三淵晴員荒川氏隆、本郷三郎、安東平次郎。『言継卿記』同年月日条
天文8年1539閏616-足利菊童丸、母・慶寿院が八瀬(山城国)へ赴く。供は大舘晴光朽木稙綱伊勢貞孝『蜷川親俊日記』同年月日条
天文11年1542219-朽木稙綱大舘常興に蜜柑1包を贈る。『大舘常興日記』同年月日条
天文11年1542317-万里小路惟房が坂本(近江国)に在陣中の足利義晴のもとに礼に赴く。申次は朽木稙綱『惟房公記』同年月日条
天文11年1542閏325-結城国縁、杉原晴盛をもって、御供衆の大舘常興、上野与三郎、大舘晴光、吉見右馬頭、大舘兵庫頭、伊勢因幡守、大舘治部大輔、細川晴経朽木稙綱に、26日の御殿普請につき侍・中間を問わず小者3名を鋤を持たせて提供するようにと足利義晴が命じる。『大舘常興日記』同年月日条
天文11年1542521-足利菊童丸が感神院新宮に参詣する。供は大舘晴光朽木稙綱伊勢貞孝『蜷川親俊日記』同年月日条
天文11年1542721-足利義晴近衛稙家のもとを訪れる。供は上野、朽木稙綱伊勢貞孝『蜷川親俊日記』同年月日条
天文11年15421120-足利千歳丸興福寺一乗院に入室する。供は朽木稙綱『蜷川親俊日記』同年月日条
天文15年1546110-足利菊童丸が参内する。大舘晴光朽木稙綱伊勢貞孝、縁阿弥、杉原七郎、石谷光政、本郷与三郎、安威藤備、沼田光兼、飯川彦九郎が供奉し、薬師寺与一、柳本又二郎が辻固めをする。『言継卿記』同年月日条
天文15年15461219-足利義藤坂本(近江国)の樹下成保邸にて元服する。加冠は六角定頼、理髪は細川晴経、惣奉行は摂津元造、元服奉行は松田晴秀飯尾堯連、打乱は朽木稙綱、泔坏は大原高保、御祝調進は大隅秀宗・大草公広、御手長は伊勢盛正、御物奉行は蜷川親俊・三上秀長が勤める。定頼は義藤に馬・弓・征矢・鎧・砂金を進上する。
足利義藤の御乗馬初め儀を執行する。
義藤が従四位下・左馬頭に叙位・任官する。征夷大将軍就任の宣旨が下され、勅使・高辻大納言が義藤のいる坂本(近江国)に遣わされる。
『厳助大僧正記』同年月日条、『光源院殿御元服記』(『群書類従』)
天文21年1552128-足利義藤が比叡辻の宝泉寺より、未下刻(14:00頃)、入洛する。伊勢貞孝被官の蜷川弥三郎・堤三郎兵衛を先頭に三宝院、奉公衆、同朋衆、大舘晴光上野信孝、大舘晴忠、朽木稙綱、細川中務大輔、伊勢貞孝、縁阿弥、高倉永家、慶寿院(義輝正室)、遊佐勘解由左衛門、近衛稙家、大覚寺義俊が付き従う。細川聡明丸も上洛する。
義藤、聡明丸の上洛につき、三好長慶が麾下の国衆を辻固めに動員し、三好長逸松永久秀を遣わして逢坂にて出迎える。
六角義賢の軍勢に守られた聡明丸が、戌刻(19-21時)に東寺に到着する。三好千熊丸が聡明丸を出迎える。
細川晴元足利義藤の帰洛に随行せず若狭に向かうため堅田から葛川に向かったとされる。
『言継卿記』同年月日条、『足利季世記』巻5「公方三好和談之事」
天文22年1553830-足利義藤が朽木(近江国)に到着する。『厳助大僧正記』同年月日条
永禄1年1558313-足利義輝が朽木(近江国)より龍花へ移る。『言継卿記』同年月15日条
-----朽木稙綱が死去する。-
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