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松田晴秀
まつだ はるひで
生 没 年
?-?
出 身
-
幼 名
-
別 称
秀俊、八郎左衛門尉
法 名
宗祥
戒 名
-
父
松田長秀
母
-
兄 弟 姉 妹
-
配 偶 者
-
子
-
官 位
左衛門大夫、丹後守
役 職
室町幕府 奉行人 執事代
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
松田晴秀 年表
和暦
西暦
月
日
年齢
事項
出典
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-
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-
-
松田晴秀
が生まれる。
-
天文6年
1537
1
6
-
松田晴秀
が
山科言継
のもとに礼に訪れる。
『言継卿記』同年月日条
天文6年
1537
12
13
-
室町幕府が京都北口(岩倉・花園・長谷)での柴公事銭徴収を永正13年6月2日付室町幕府下知状に準じ停止する。柴公事銭を徴収する者がいたならば町人が捕らえるよう指示する。連署者は諏訪晴長・
松田頼康
・
松田晴秀
。
同年月日付室町幕府奉行人連署下知状案(『蜷川家文書』3-524号)
天文8年
1539
8
24
-
上京
・
下京
の地下人から申請のあった徳政停止について
六角定頼
と相談し、定頼より徳政停止で問題なしとの返答を受けたことから、
松田晴秀
に徳政停止を施行するよう伝える。
『蜷川親俊日記』同年月日条
天文15年
1546
12
19
-
足利義藤
が
坂本
(近江国)の樹下成保邸にて元服する。加冠は
六角定頼
、理髪は
細川晴経
、惣奉行は
摂津元造
、元服奉行は
松田晴秀
・
飯尾堯連
、打乱は
朽木稙綱
、泔坏は大原高保、御祝調進は大隅秀宗・大草公広、御手長は伊勢盛正、御物奉行は蜷川親俊・三上秀長が勤める。定頼は義藤に馬・弓・征矢・鎧・砂金を進上する。
足利義藤
の御乗馬初め儀を執行する。
義藤が従四位下・左馬頭に叙位・任官する。征夷大将軍就任の宣旨が下され、勅使・高辻大納言が義藤のいる坂本(近江国)に遣わされる。
『厳助大僧正記』同年月日条、『光源院殿御元服記』(『群書類従』)
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松田晴秀
が死去する。
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