人 物 史

加藤正方 かとう まさかた
生 没 年天正8年(1580)-慶安1年(1648)9/23
出 身-幼 名-
別 称清六、清左衛門、片岡風庵
法 名-
戒 名-
加藤可重、加藤重泰[養父]-
兄 弟 姉 妹加藤重正、加藤正方
配 偶 者秋月種実の娘
-
官 位右馬允
役 職-
城 郭内牧城(肥後国)、麦島城(肥後国)、八代城(肥後国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる加藤正方の呼称
加藤正方の関連文化財
加藤正方 年表
天正8年 1580年 -月-日 1歳
加藤正方が生まれる。
出典:-

文禄1年 1592年 12月8日 13歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 17歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 19歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 2月12日 24歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 26歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長16年 1611年 6月24日 32歳
加藤清正が死去する。
出典:『黒田家譜』巻14「長政記」

慶長19年 1614年 5月8日 35歳
徳川秀忠の使者として酒井忠世駿府城(駿河国)奥之常之御座にて徳川家康に銀3000枚・太刀(銘 光長)・馬(黒鹿毛)を献上する。本多正純、阿茶局が披露する。
忠世が家康に礼をする。蝋燭500挺・太刀・馬を献上する。家康は忠世に刀(銘 長光)を下賜する。忠世は江戸(武蔵国)に帰るべく駿府(駿河国)を発つ。
加藤忠広の名代として加藤正方が駿府城の礼をする。蒲生秀行の娘を秀忠の養女としたうえで忠広に嫁がせたことを謝し、緋繻子20、黒繻子20、服10領
出典:『駿府記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井忠世」の項

元和1年 1615年 7月13日 36歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 37歳
徳川家康が死去する。
出典:-

寛永1年 1624年 2月30日 45歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
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寛永9年 1632年 1月24日 53歳
徳川秀忠が死去する。
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正保1年 1644年 12月16日 65歳
「寛永」より「正保」に年号が改まる。
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慶安1年 1648年 2月15日 69歳
「正保」より「慶安」に年号が改まる。
出典:-

慶安1年 1648年 9月23日 69歳
加藤正方が死去する。
出典:-

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