人 物 史

斎藤道三 さいとう どうさん
生 没 年明応3年(1494)-弘治2年(1556)4/20
出 身-幼 名-
別 称新九郎、秀龍、長井規秀、斎藤利政
法 名-
戒 名円覚院殿一翁道三日抬大居士
松波庄五郎
斎藤利長[養父]
-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者明智光継の娘、稲葉良通の姉、織田信秀の娘
斎藤義龍、斎藤孫四郎、斎藤喜平次、日饒、日覚、斎藤利堯、斎藤利治
官 位左京大夫、山城守
役 職美濃国守護代
城 郭稲葉山城(美濃国)、鷺山城(美濃国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ斎藤道三の関連文化財
斎藤道三 年表
明応3年 1494年 -月-日 1歳
斎藤道三が生まれる。
出典:-

文亀1年 1501年 2月29日 8歳
「明応」より「文亀」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正1年 1504年 2月30日 11歳
「文亀」より「永正」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

大永1年 1521年 8月23日 28歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

大永7年 1527年 6月10日 34歳
子・義龍が生まれる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 35歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 39歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文10年 1541年 11月8日 48歳
本願寺証如が無音であった土岐頼芸に音信として太刀1腰(安吉・6貫文程)・虎皮1枚・馬代を贈る。証如は頼芸の他に、揖斐光親に太刀1腰・緞子1端、鷲巣六郎に太刀1腰・織色2端、頼芸取次の斎藤帯刀左衛門に太刀1腰・織色2端、斎藤彦九郎入道に太刀1腰・緞子2端、斎藤利政に太刀1腰・緞子2端、長井孫九郎に太刀1腰・緞子2端、斎藤右衛門尉に太刀1腰・緞子1端、光親取次の木下源次郎に太刀1腰を贈る。使者は西円寺。
出典:『天文日記』同年月日条

天文13年 1544年 9月22日 51歳
織田信秀斎藤道三の籠る稲葉山城(美濃国)を攻める。加納口で道三が織田勢を急襲し、信秀を退ける。織田信康が戦死する。
出典:-

天文16年 1547年 9月22日 54歳
織田信秀が稲葉山城(美濃国)を攻撃する。青山与三左衛門尉が戦死する。
出典:『信長公記』(首巻)みのゝ国へ乱入し五千討死の事

天文17年 1548年 -月-日 55歳
孫・龍興が生まれる。
出典:-

天文20年 1551年 3月3日 58歳
織田信秀が死去する。
出典:-

天文24年 1555年 1月-日 62歳
織田信長の要請を受けて斎藤道三が派遣した安藤守就率いる軍勢1000が名古屋(尾張国)に到着する。
出典:『清須合戦記』

弘治1年 1555年 10月23日 62歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治2年 1556年 4月18日 63歳
斎藤道三が鶴山(美濃国)に陣取る。斎藤義龍が乾に陣取る。
出典:『江濃記』「道三最後之事」

弘治2年 1556年 4月20日 63歳
長良川(美濃国)にて斎藤道三斎藤義龍が戦い、道三が戦死する。
出典:-

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