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事項 |
出典 |
永正13年 | 1516 | 11 | 20 | 1 | 証如が生まれる。 | - |
大永5年 | 1525 | 2 | 2 | 10 | 祖父・実如が死去する。 | 『厳助往年記』同年月日条、『大谷本願寺通紀』巻2「証如」 |
大永5年 | 1525 | 2 | 7 | 10 | 祖父・実如の葬儀が行われる。10万人が参詣したとされる。 | 『厳助往年記』同年月日条 |
大永7年 | 1527 | 4 | 2 | 12 | 本願寺証如が青蓮院において青蓮院尊鎮を師として薙髪する。九条尚経の猶子となる。 | 『大谷本願寺通紀』巻2「証如」 |
享禄5年 | 1532 | 5 | 19 | 17 | 畠山義堯が木沢長政の飯盛山城(河内国)を攻める。 | 『細川両家記』 |
享禄5年 | 1532 | 6 | 15 | 17 | 畠山義堯が木沢長政の籠る飯盛山城(河内国)を攻撃していたところ、細川晴元が長政を救援すべく、本願寺証如に門徒の動員を依頼する。証如は30000の門徒勢を動員し飯盛山城の後詰に赴かせ畠山勢を破る。義堯は石川の道場にて自害する。 | 『細川両家記』 |
享禄5年 | 1532 | 6 | 20 | 17 | 細川晴元が本願寺証如に要請して馳せ集まった摂津・河内・和泉の一向一揆100000に、三好元長の居所である堺の顕本寺が攻められる。追い詰められた元長は、三好一秀、塩田若狭守、加地丹波守等とともに自害する。 | 『厳助大僧正記』同年月日条、『言継卿記』同年月22日条 |
享禄5年 | 1532 | 7 | 19 | 17 | 一向一揆勢2000が山崎(山城国)に攻め込み西岡衆と戦う。 | 『言継卿記』同年月日条 |
天文1年 | 1532 | 8 | 2 | 17 | 堺にいた細川晴元が一向一揆勢に包囲されるが、合戦にて勝利する。 | 『二水記』同年月3日条 |
天文1年 | 1532 | 8 | 4 | 17 | 細川晴元と本願寺証如が敵対関係となる。(『私』) 木沢長政の衆が一向一揆勢と喧嘩し殺害される。長政はその報復として、堺の東にあるあさかの道場の近郷を放火する。 | 『私心記』同年月日条、『祇園執行日記』同年月日条、『細川両家記』 |
天文1年 | 1532 | 8 | 5 | 17 | 一向一揆勢が細川晴元の居る堺北荘に攻め入るが、木沢長政の救援もあって細川勢が一向一揆勢を退ける。 池田城(摂津国)に摂津国の一向一揆勢が攻めかかるが和睦により一揆勢は開陣する。 | 『経厚法印日記』同年月日条、『細川両家記』、『足利季世記』巻四 山科本願寺責落事 |
天文1年 | 1532 | 8 | 8 | 17 | 堺に居る細川晴元が大坂本願寺に軍勢を遣わすも一向一揆勢が細川勢を退ける。 | 『経厚法印日記』同年月日条 |
天文1年 | 1532 | 8 | 23 | 17 | 法華衆および六角定頼の軍勢30000-40000が山科本願寺を包囲する。定頼は同寺の東に陣取る。矢合わせが行われる。 | 『二水記』同年月日条、『経厚法印日記』同年月日条 |
天文1年 | 1532 | 8 | 24 | 17 | 早朝より山科本願寺が法華衆や六角定頼勢の攻撃を四方から受ける。野村郷(山城国)からの焼き討ちにより寺内に入り込まれ、また下間兵庫助が定頼に内応したこともあって、未刻(13-15時)に諸勢が寺内に乱入し、同寺が陥落する。寺内は一軒も残らず焼き討ちされる。 定頼は夜に帰陣する。 | 『私心記』同年月日条、『経厚法印日記』同年月日条、『二水記』同年月日条、『細川両家記』 |
天文1年 | 1532 | 8 | 25 | 17 | 山科本願寺の焼跡地から財宝が取り出される。 | 『二水記』同年月日条 |
天文1年 | 1532 | 8 | 26 | 17 | 山科本願寺の焼跡地から財宝が持ち出される。黄金数百両が持ち出されたという。 | 『二水記』同年月日条 |
天文1年 | 1532 | 9 | 26 | 17 | 山崎(山城国)にて一向一揆勢と薬師寺国長・法華衆が戦う。 | 『二水記』同年月日条 |
天文1年 | 1532 | 9 | 28 | 17 | 山崎(山城国)にて一向一揆勢と薬師寺国長・法華衆が戦い、一揆勢が勝利する。薬師寺国長、一宮堅成が撤退する。 | 『二水記』同年月日条 |
天文1年 | 1532 | 10 | - | 17 | 一向一揆勢が南都を焼き討ちにする。 | 『細川両家記』 |
天文1年 | 1532 | 11 | 23 | 17 | 摂津国上郡衆が一揆し富田道場を放火する。 | 『足利季世記』巻四 所々一揆起ル事 |
天文2年 | 1533 | 1 | 1 | 18 | 一向一揆が尼崎大物(摂津国)の松井越前守を攻める。 | 『足利季世記』巻四 所々一揆起ル事、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 | 1533 | 2 | 10 | 18 | 一向一揆が堺にいる細川晴元を攻め、堺を落とす。晴元は淡路国に逃亡する。 | 『足利季世記』巻四 所々一揆起ル事、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 | 1533 | 3 | 5 | 18 | 一向一揆が伊丹城(摂津国)を攻撃する。 | 『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『細川両家記』、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 | 1533 | 3 | 29 | 18 | 一向一揆に攻撃されている伊丹城(摂津国)を救援すべく、法華衆を引き連れ同城の後詰に駆け付け一向一揆を破る。 | 『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 | 1533 | 4 | 7 | 18 | 池田城(摂津国)に着陣する。本満寺に本願寺との手切れが15日であることを伝えたうえで檀那を動員し大坂本願寺に攻め入るよう催促する。 | (天文2年)4月7日付細川晴元書状(『戦国遺文』三好氏編第1巻-103号「本満寺文書」) |
天文2年 | 1533 | 4 | 29 | 18 | 堺に籠っていた一向一揆が細川晴元の攻撃を受け大坂本願寺に撤退する。 | 『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『細川両家記』 |
天文2年 | 1533 | 5 | 5 | 18 | 三好千熊丸、木沢長政、法華衆が大坂本願寺を攻める。 | 『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 | 1533 | 5 | 20 | 18 | 細川晴元と本願寺証如の和睦が成立する。大坂本願寺を攻めていた三好千熊丸、木沢長政、法華衆が同寺より撤退する。 | 『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『細川両家記』 |
天文2年 | 1533 | 6 | 8 | 18 | 中島(摂津国)との手切れにより、同地への攻撃を三好千熊丸に命じたことを本満寺に伝え、同寺に大坂在陣を促す。 | (天文2年)6月8日付細川晴元書状(「本満寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-参考14号) |
天文2年 | 1533 | 6 | 21 | 18 | 細川晴元と本願寺証如が和睦した、もしくは和睦して安堵した晴元に一向一揆勢が襲い掛かったと京都にて噂される。 | 『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号 |
天文2年 | 1533 | 6 | 22 | 18 | 細川晴元と本願寺証如の和睦について、実説は和睦はなったが、大坂本願寺にいた細川高国の牢人衆が晴元勢、証如勢に襲い掛かり双方300人の死者を出したという。 | 『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号 |
天文2年 | 1533 | 8 | 11 | 18 | 三好長直が本願寺証如と和睦し細川晴元に叛旗を翻す。 | 『足利季世記』巻四 三好伊賀守合戦之事 |
天文2年 | 1533 | 11 | 16 | 18 | 木沢長政が大和衆を引き連れ、大坂本願寺近辺を焼き討ちする。 | 『私心記』同年月日条 |
天文3年 | 1534 | 10 | 20 | 19 | 灘(摂津国下郡)にて三好千熊丸と一向一揆勢と戦う。 | 『私心記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 1 | 18 | 21 | 木沢長政のもとへ本願寺証如より使者・藤井八郎左衛門が訪れ、大和国吉野上市下市還住のことについて述べる。本願寺は越智氏を介して還住を遂げようとしていると述べたため、大和国は木沢自身が守護であり進退する国であることを主張する。 | 『天文日記』同年1月20日条 |
天文5年 | 1536 | 1 | 22 | 21 | 遊佐長教と本願寺証如の和与につき、証如より長教へ天文4年に礼として太刀、馬が贈られたので、その返礼として長教が太刀1腰、馬1疋(月毛)を証如に贈る。使者は菱木孫右衛門。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 3 | 19 | 21 | 本願寺証如が木沢長政に即位の辻固めにつき太刀1腰・馬1疋を、中坊に3種2荷を送る(使者は横田出雲)。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 3 | 21 | 21 | 本願寺証如のもとに3/19の木沢長政・中坊への音信の返事がやってきて、長政より後柏原天皇の宸筆題12枚が贈られる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 4 | 3 | 21 | 4月3日に本願寺証如が音信として備前国にいる浦上政宗に書状・太刀・馬代を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 5 | 25 | 21 | 本願寺証如が大坂本願寺寺内六町の「かまへ」を視察する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 7 | 29 | 21 | 木沢長政、三好長直、三好政長が中島(摂津国)に侵攻する。それにつき本願寺証如が長政に無事中島に侵入したことを祝う使者を送る(使者は藤井八郎左衛門尉)。その際、長政より本陣である天王寺より兵糧を中島に運び入れるにあたって、運搬のための船を所望され、また兵糧も少々所望される。証如は船5艘と飯を送る。この事件により大坂本願寺の備えを厚くするため、加賀四郡番衆が武具を購入したいので100貫の借用を願い出たので、証如は100貫を貸し与える。 | 『天文日記』同年月日条、『私心記』同年月日条、『足利季世記』巻四 細川晴国最後ノ事 |
天文5年 | 1536 | 10 | 2 | 21 | 本願寺証如が細川晴元の入洛を祝し太刀1腰・5合5荷・書状を送る。また木沢長政も入洛したので、長政へも太刀1腰・3種5荷・書状を送る。使者は横田出雲。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 10 | 21 | 21 | 土岐氏より願証寺(長島)へ合力要請があったため、願証寺が本願寺証如へ対応を尋ねてくる。証如は合力してはならないと返答する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 10 | 26 | 21 | 4月3日の本願寺証如からの音信に対し、浦上政宗が備前国から返礼をし、この日、証如に礼状が届く。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 閏11 | 7 | 21 | 木沢長政の京都より信貴山城(大和国)への帰城につき本願寺証如が3種5荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 12 | 17 | 21 | 本願寺証如が尼子経久にはじめて音信として太刀・馬代・織物1端・織色2端を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 12 | 20 | 21 | 11月に蓮淳が本願寺証如より30貫をたまわったことへの礼として、証如に3種3荷を進上する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 12 | 23 | 21 | 本願寺証如が浅井亮政・加賀四郡に六角定頼との和与が整った旨を伝える。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 12 | 24 | 21 | 大内義隆が日明貿易の輸出品として瑪瑙を本願寺証如に所望する。この日その使者が大坂本願寺に到着する。瑪瑙を証如が所持していない場合は加賀国那谷寺観音堂の下にあるので、取り寄せてもらうよう義隆が証如に依頼する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 12 | 26 | 21 | 本願寺証如のもとに伊勢国坊主衆・門徒中より使者がやってくる。その使者に六角定頼との和与が調ったことを伝え、それを伊勢・尾張・美濃・三河に伝えるよう命じる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文5年 | 1536 | 12 | 27 | 21 | 本願寺証如が六角定頼との和与について、尽力してくれた木沢長政へ御礼の書状を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 1 | 11 | 22 | 六角定頼への使者として下間頼慶、横田能登、横田出雲を遣わす。定頼には書状・馬・太刀(代30000疋)を、六角家重臣の平井・進藤に200貫を贈る。 | 『私心記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 4 | 24 | 22 | 木沢長政の子・ねや法師の元服につき本願寺証如から太刀・馬代1000疋(10貫)・瓶が送られる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 6 | 3 | 22 | 大坂本願寺寺内の新屋敷西北の要害について新屋敷の町人が普請をする。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 6 | 19 | 22 | 赤松晴政が本願寺証如に使者・円通寺を遣わし書状と打ち物2つ(祐定)を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 6 | 27 | 22 | 大内義隆が本願寺証如に依頼した瑪瑙が加賀国江沼郡より証如に進上される。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 7 | 11 | 22 | 本願寺証如が大坂本願寺寺内における盆踊りを停止する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 7 | 12 | 22 | 海老名将監が山科本願寺寺中地子銭(坊跡から亭にいたるまでの8町分)二季あわせて3貫文の支払いを本願寺証如に請求する。証如は地子銭を支払う。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 8 | 16 | 22 | 木沢長政の大和出陣につき本願寺証如が5種10荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 11 | 5 | 22 | 三好長慶の出陣につき本願寺証如が太刀・馬(河原毛)を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 11 | 23 | 22 | 久宝寺・出口光善寺の寺領・買得地を返付することが本願寺証如に伝わる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 12 | 2 | 22 | 本願寺証如が大内義隆より輸出品として調達を依頼されていた瑪瑙(5つ)を義隆に送る。取次は堺のひらや。また音信として義隆に織物1端(800疋・赤)・織色1端(紅梅)を送る。 | 『天文日記』同年12月1日条 |
天文6年 | 1537 | 12 | 15 | 22 | 本願寺証如が大和に陣をはる木沢長政に太刀1腰・3種5荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 12 | 15 | 22 | 本願寺証如が歳暮として木沢長政に太刀1腰を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 12 | 24 | 22 | 本願寺証如と細川晴元の和睦につき、証如が木沢長政に300貫を贈る(使者が出たのは25日)。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文6年 | 1537 | 12 | 29 | 22 | 歳暮として木沢長政が本願寺証如に贈った太刀1腰が証如のもとに届く。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 1 | 6 | 23 | 年始の礼として木沢長政が本願寺証如に贈った太刀1腰が証如のもとに届く。使者は小野民部丞。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 1 | 16 | 23 | 年始の礼として本願寺証如が木沢長政に太刀1腰・3種5荷を贈る。使者は冷水弥九郎。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 3 | 3 | 23 | 本願寺証如が年始の祝儀といて三好長慶に3種5荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 3 | 5 | 23 | 木沢長政が尾張国の織田右衛門尉より依頼を受け、有事の際は本願寺証如から願証寺(長島)や興善寺に織田右衛門尉の味方をするよう依頼する。証如はその依頼を承諾する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 3 | 19 | 23 | 本願寺証如の2月3日の年始の祝儀の返礼として三好長慶が証如に贈った太刀・馬(栗毛雲雀)が証如のもとに届く。使者は加地源右衛門。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 6 | 14 | 23 | 本願寺証如が三好元長の七回忌として三好長慶のものとに小経1巻・500疋を贈る。使者は円山隠岐。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 6 | 18 | 23 | 梅戸高実が本願寺証如のもとに使者として遣わした宮田次郎左衛門が大坂本願寺に到着する。証如に太刀1腰・黒栗毛の馬を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 7 | 3 | 23 | 本願寺証如が初めて三好政長に音信を遣わす。使者は藤井八郎左衛門で絞30具と3種5荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 7 | 4 | 23 | 畠山弥九郎が高屋城(河内国)に入城したため、この日、本願寺証如が円山隠岐を遣わし初めて音信を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 7 | 5 | 23 | 三好政長の本願寺証如の7月3日の音信の返しとして、証如に政長の与力を使者として遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 8 | 6 | 23 | 畠山九郎が能登国より加賀国に退去している最中、加賀国の本念寺・本誓寺を介して本願寺証如に、能登国侵攻を計画を打ち明け、もし敗れて再度加賀に逃れることがあったら、九郎勢に軍勢を差し向けないように加賀国の門徒に命じるよう依頼する。しかし、証如は合力することはそもそもせず、また命令することもないと返答する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 8 | 21 | 23 | 本願寺証如が細川晴元に制札の礼として太刀1腰・銭3000疋(30貫)を、晴元の取次・古沢に銭500疋(5貫)を、茨木長隆に太刀1腰・馬代を贈る(使者は八尾新四郎)。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 8 | 27 | 23 | 8/23に細川晴元へ遣わした八尾新四郎が大坂本願寺に戻り、古沢(晴元取次)・茨木長隆が喜んでいた旨を証如に伝える。また、晴元が発令した徳政令について、大坂本願寺寺内は徳政の適用範囲外である旨が晴元より伝えられる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 9 | 4 | 23 | 揖斐光親が本願寺証如へ送った書状が証如のもとに届く。尼子詮久が播磨国へ攻め入ることを知らせる。また、美濃国がいまだ統一されていない状況であることを伝え、近日中に軍事行動を起こすので、その際に真宗門徒が味方となるように命令を下してくれれば祝着であると伝える。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 9 | 14 | 23 | 大坂本願寺寺内の六町の番屋に火付・盗人・博打を発見し報告してきた者には代物(褒美)を遣わす旨を周知させる制札を発給する。下間頼慶が花押を捺す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 9 | 15 | 23 | 本願寺証如が9月4日付揖斐光親書状の返書を発給する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 9 | 15 | 23 | 誓願寺が、三淵晴員を介して本願寺証如に鐘鋳勧進の奉加を募る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 9 | 17 | 23 | 本願寺証如に9月15日に三淵晴員を介して依頼があった誓願寺鐘鋳勧進の奉加について、以前(山科に本願寺があった頃)は「近所」であったので奉加に応じたが、現在は大坂に本願寺があり誓願寺より遠く、かつ資金難であるため奉加依頼を断る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 10 | 12 | 23 | 高畠長直が本願寺証如に、嵯峨洪恩院領安吉保、嵯峨勝智院領安重名の門徒へ領主の支配に従うよう命令を下すように依頼する。証如は10月13日に在地門徒に命令を下す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 10 | 16 | 23 | 本願寺証如が京極高延、京極高吉に音信として書状・太刀・馬代を贈る。また、三好長慶に音信として書状、太鼓・小鼓5枚ずつ、13種5荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 10 | 18 | 23 | 三好長慶が16日の本願寺証如の音信に対して返事をする。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 11 | 10 | 23 | 加賀国にて洲崎・河合八郎左衛門が違乱をしていることについて加賀四郡より本願寺証如に両人を法義・俗事の観点からきっと処罰するべき旨を記す文書の発給を依頼され、文書を発給する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 12 | 1 | 23 | 本願寺証如が唐船見物のため隠密に堺に赴き、慈光寺道場に着船した唐船を見物する。船中にて堺客衆より折樽を贈られる。夜、慈光寺にて逮夜を勤める。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 12 | 12 | 23 | 大原高保が本願寺証如に音信として3種5荷を贈る。使者は馬場小次郎。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 12 | 22 | 23 | 延暦寺西塔院執行代および西学坊より本願寺証如のもとに末寺銭催促状が到来する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文7年 | 1538 | 12 | 24 | 23 | 本願寺証如の使者として円山隠岐が伊勢貞孝のもとに訪れる。貞孝は隠岐に対面する。 延暦寺西塔院に納める末寺銭30貫文・樽代2貫500文を西塔院の使者に渡す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文8年 | 1539 | 1 | 3 | 24 | 堺客衆より唐船の着津につき本願寺証如のもとに挨拶に訪れる。その際、堺客衆が唐船5駄荷所と船乗1名を証如に進上することを述べる。 | 『天文日記』同年月3・4日条 |
天文8年 | 1539 | 1 | 9 | 24 | 延暦寺西塔院に納めた末寺銭30貫文の請取状が到来する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文8年 | 1539 | 1 | 17 | 24 | 蜷川親俊のもとに本願寺証如より3種(雁1、鯛3、熨斗鮑)、天野3荷が届く。使者は横田能登守。 | 『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 | 1539 | 1 | 18 | 24 | 足利義晴のもとに本願寺証如より10合10荷が進上される。 | 『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 | 1539 | 2 | 24 | 24 | 延暦寺東塔・西塔より、坂本関・四屋関が勝手な行いをするため、関所の徴収者を小唐崎に変更したので、東国・北国から大坂本願寺にやってくる門徒衆にその旨を知らせるようにと通知がくる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文8年 | 1539 | 6 | 23 | 24 | 三好長慶の母死去につき、中島(摂津国)の崇禅寺にて仏事を勤行する。本願寺証如が長慶に香典1000疋を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文8年 | 1539 | 7 | 22 | 24 | 三好政長在陣につき本願寺証如が音信として3種5荷を贈る。 | 天文8年7月22日付本願寺証如書状案(『戦国遺文』三好氏篇第1巻-124号『天文書札案』) |
天文8年 | 1539 | 7 | 27 | 24 | 高雄(山城国)に在陣中の細川晴元のもとに本願寺証如が音信として書状と5種10荷を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文8年 | 1539 | 8 | 14 | 24 | 三好利長(長慶)が越水城(摂津)に入城したのを祝し、音信として書状と3種5荷を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文8年 | 1539 | 12 | 24 | 24 | 本願寺証如への歳暮の礼に対する返礼の書状を伊勢貞孝が認める。 | 『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文9年 | 1540 | 2 | 18 | 25 | 本願寺証如が三好利長(長慶)に音信を遣わす。下間頼慶が添状を発給する。 | (天文9年)2月18日付本願寺証如書状案(『戦国遺文』三好氏編第1巻-134号『天文書札案』) |
天文9年 | 1540 | 4 | 26 | 25 | 本願寺証如が富小路に堺に着津させている唐船を見せる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 1 | 4 | 26 | 佳例として本願寺証如が下間頼慶の宿所を訪れる。朝飯として汁4、菜12、菓子9種にてもてなす。、順興寺実従、実淳、福一が相伴する。その後、雑煮あり。 証如が帰宅した後、扇2本、杉原を証如に贈る。 頼慶が風呂を焼く。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 1 | 8 | 26 | 木沢長政が本願寺証如に初陽の祝慶として書状を送る。使者は小野但馬。但馬が到着したのは夕方であったためこの日は証如と対面せず。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 1 | 9 | 26 | 8日に到着した木沢長政の使者 小野但馬が本願寺証如と対面する。1献にてもてなす。 山中蔵人より年首の祝儀として使者が訪れる。綱所にて使者に盃を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 3 | 10 | 26 | 本願寺証如が、山科本願寺跡地の地子銭を、醍醐寺三宝院に未納しているため路地封鎖行っていることについて、幕府より停止するようにとの命令が出され、醍醐寺よりも了承の返答があったことから、幕府に御礼として馬代1000疋を進上する。地子銭を払わなくてもよくなった理由は、山科本願寺を再興する考えがないことによる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 5 | 18 | 26 | 在京中の梅戸高実に本願寺証如が天文7年6月19日の答礼として書状・太刀1腰・馬1疋を贈る。使者は麻生。下間頼慶が添状を発給する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 6 | 11 | 26 | 午刻前(23時前)、下間頼慶が死去する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 8 | 17 | 26 | 本願寺証如が赤松晴政の音信として太刀・絞(浅黄入)20具を、晴政の家臣・祝融軒に太刀1腰・絞(萌黄入)5具を贈る。使者は下間伊予。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 8 | 18 | 26 | 本願寺証如が笠置城(山城国)を落とし、同城に向かった木沢長政に音信として3種5荷を贈る。使者は藤井八郎左衛門。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 9 | 4 | 26 | 杉宗珊が本願寺証如に音信として虎皮1枚・毛氈1枚を贈る。使者は福嶋祐賢。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 9 | 5 | 26 | 本願寺証如が木沢長政のもとに朝倉孝景と和睦した旨を伝える使者を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 9 | 7 | 26 | 本願寺証如のもとに証如と朝倉孝景が和睦したことを喜ぶ使者を木沢長政が遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 9 | 21 | 26 | 多田塩川要害を攻撃中の三好範長(長慶)のもとに、本願寺証如が音信として書状と3種5荷を贈る。使者は芝田宗九郎。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 9 | 23 | 26 | 21日の本願寺証如の音信に対する三好範長(長慶)の返書が証如のもとに届く。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 2 | 26 | 本願寺証如が細川元常に音信として3種5荷を贈る。使者は芝田宗九郎。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 7 | 26 | 堺にて堺御坊の作事が始まる。柱立が行われる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 8 | 26 | 本願寺証如が飯盛山城(河内国)にいる木沢長政に、摂津への軍勢派遣につき、音信として書状と3種5荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日・9日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 9 | 26 | 本願寺証如が畠山在氏に音信として3種5荷を、在氏取次の平若狭に太刀1腰を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 11 | 26 | 8日の本願寺証如の音信に対する木沢長政の返事及び鷹雁1が証如のもとに届く。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 15 | 26 | 本願寺証如が在陣中の木沢左馬允に3種5荷、木沢右近・三宅国村・瓦林対馬に3種3荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 17 | 26 | 本願寺証如が9月4日の杉宗珊からの音信の返礼として鹿毛毛氈・太刀1腰を贈る。使者は下国する福嶋祐賢。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 18 | 26 | 本願寺証如が音信として三好範長(長慶)に3種5荷、三好政長に3種3荷、加地肥前に樽代100疋、塩田左馬助に100疋を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 26 | 26 | 本願寺証如が音信として書状・綿10把を木沢長政に贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 10 | 29 | 26 | 11月26日に堺御坊の内儀の座敷が完成したことをうけ、本願寺証如が同坊を見物に訪れる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 11 | 2 | 26 | 本願寺証如が堺より大坂本願寺に帰寺する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 11 | 8 | 26 | 本願寺証如が無音であった土岐頼芸に音信として太刀1腰(安吉・6貫文程)・虎皮1枚・馬代を贈る。証如は頼芸の他に、揖斐光親に太刀1腰・緞子1端、鷲巣六郎に太刀1腰・織色2端、頼芸取次の斎藤帯刀左衛門に太刀1腰・織色2端、斎藤彦九郎入道に太刀1腰・緞子2端、斎藤利政に太刀1腰・緞子2端、長井孫九郎に太刀1腰・緞子2端、斎藤右衛門尉に太刀1腰・緞子1端、光親取次の木下源次郎に太刀1腰を贈る。使者は西円寺。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 11 | 27 | 26 | 木沢長政が中坊をもって久々に本願寺証如に音信として3種5荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 11 | 30 | 26 | 本願寺証如が笠置城を攻め落とした木沢長政に戦勝を祝す使者を派遣する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 12 | 8 | 26 | 細川晴元が木沢長政を対治するため芥川山城(摂津国)まで軍勢を寄せる。 | 『多聞院日記』同年月15日条 |
天文10年 | 1541 | 12 | 12 | 26 | 細川晴元の摂津国出陣につき本願寺証如が晴元に音信として太刀1腰、5種10荷、細川藤賢に太刀1腰・3種5荷、三好長慶・波多野備前・三好政長に太刀1腰・綿10把、高畠長直に綿3把、藤賢取次の小河民部丞に太刀1腰・綿3把を送る。使者は八尾新四郎。 | 『天文日記』同年月日条、(天文10年)12月10日付本願寺証如書状案(『戦国遺文』三好氏編第1巻-159号『天文書札案』) |
天文10年 | 1541 | 12 | 20 | 26 | 足利義晴が本願寺証如に御内書を発給し、河内国門徒が木沢長政に加勢しないように同国門徒中へ指示するよう命じる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 12 | 22 | 26 | 本願寺証如が12月20日請け取った御内書の旨に従うことを、足利義晴に返事する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文10年 | 1541 | 12 | 26 | 26 | 本願寺証如が歳末の礼として細川晴元に太刀1腰、三好長慶に太刀1腰を贈る。使者は大坂小五郎。 証如が出陣中の芥川孫十郎・池田長正に太刀1腰・梅染2端を贈る。 証如が木沢長政に藤井八郎左衛門を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 1 | 12 | 27 | 本願寺証如が伊勢貞孝に礼として3種3荷を贈る。使者は大坂小五郎。 | 『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 3 | 20 | 27 | 本願寺証如が三好長慶に対し太平寺の合戦で木沢長政を討ち取り勝利したことを祝す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 閏3 | 22 | 27 | 細川晴元の使者として高畠長直が大坂本願寺に居る本願寺証如のもとに赴く。未刻(13-15時)、長直と証如が対面する。証如は長直を三献をもってもてなす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 4 | 18 | 27 | 堺御坊の見物のため堺に赴く。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 4 | 27 | 27 | 堺御坊の見物のために堺を訪れていた本願寺証如が大坂本願寺に帰る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 4 | 29 | 27 | 中院中納言が大坂本願寺を訪れる。本願寺証如が歓待する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 5 | 1 | 27 | 倶利伽羅明王院(加賀国)住持職について本願寺証如より当地門徒中へ受け入れるようにとの命が下ったことについて、証如へ珍重の旨を大舘常興より伝えるよう言い渡される。 | 『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 7 | 16 | 27 | 巳刻(9:00~11:00)、大坂本願寺の阿弥陀堂の礎石を据える。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 7 | 21 | 27 | 辰刻(7-9時)、大坂本願寺の阿弥陀堂の柱立を行う。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 7 | 26 | 27 | 巳刻(9:00~11:00)、大坂本願寺の阿弥陀堂の棟上が行われる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 11 | 19 | 27 | 大坂本願寺の阿弥陀堂に新造の本尊を安置する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 11 | 20 | 27 | 大坂本願寺の親鸞像を新しい厨子に移す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | 11 | 26 | 27 | 大内義隆が本願寺証如に、来年、渡唐船を派遣するので輸出品として瑪瑙を所望する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文11年 | 1542 | - | - | 27 | 土岐頼芸が本願寺証如に返書を送る。使者は西円寺。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 1 | 6 | 28 | 辰半刻(8時)、子・顕如が生まれる。 | 『大谷嫡流実記』「顕如」の項 |
天文12年 | 1543 | 5 | 17 | 28 | 平手政秀が大坂本願寺を訪れ本願寺証如に礼をする。証如は肴をもって一献と湯漬で対面して応対する。理由は、政秀が尾張において門徒衆に「悪勢者」であるからという。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 5 | 26 | 28 | 本願寺証如の子・顕如の誕生を祝う細川晴元の使者として高畠長直が大坂本願寺に訪れる。証如は長直を三献をもってもてなす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 6 | 27 | 28 | 本願寺証如が京都の南方の所々を歴覧中の武田信虎のもとに音信を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 7 | 11 | 28 | 細川氏綱・藤賢兄弟が本願寺証如に書状を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 7 | 14 | 28 | 本願寺証如が細川氏綱・藤賢兄弟に返状を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 8 | 1 | 28 | 畠山義総が本願寺証如に、子・顕如の誕生を祝す音信を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 8 | 3 | 28 | 細川氏綱・藤賢兄弟が本願寺証如に出陣につき、和泉国・紀伊国にて氏綱方として一向一揆を起こしてほしいこと、兵粮を借用したい旨を書状にて伝える。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 8 | 6 | 28 | 本願寺証如が、8月3日に細川氏綱・藤賢兄弟より依頼のあった和泉国・紀伊国における一向一揆蜂起と兵粮借用の件を断る旨を氏綱に伝える。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 8 | 24 | 28 | 本願寺証如が、細川晴元の芥川山城(摂津国)入城につき、晴元に太刀・5種10荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 8 | 29 | 28 | 本願寺証如が畠山義総に8月1日の音信の返状を発給する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 9 | 19 | 28 | 足利義晴が御台料所芝山について、超勝寺が違乱をしているので、本願寺証如に違乱停止を命じるように依頼する。使者は杉原晴盛。晴盛は三献のもてなしを受ける。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 9 | 23 | 28 | 本願寺証如が細川氏綱・藤賢兄弟、長塩又四郎、赤沢又三郎に音信を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 9 | 24 | 28 | 本願寺証如が浅井久政に音信を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 10 | 1 | 28 | 細川氏綱・藤賢兄弟、長塩又四郎、赤沢又三郎が9月23日の本願寺証如に対する返事を出す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 10 | 20 | 28 | 本願寺証如が細川晴元に、細川氏綱との戦いに勝利したことを祝す音信を遣わす。使者は八尾。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 10 | 25 | 28 | 本願寺証如のもとへ京都の一条氏より音信として持明院中将がやってくる。持明院は土佐下向のため大坂本願寺寺内町新屋敷住吉屋に宿泊する。証如は下間光頼に、持明院に河野新六と番衆20人を警護としてつけるように命じる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 10 | 27 | 28 | 本願寺証如が山中蔵人死去につき弔いとして鳥目を遣わす。使者は河野新六。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 10 | 30 | 28 | 足利義晴より命じられた禁裏御修理料(加賀国分)100貫文を本願寺証如が義晴に納める。また、三淵の家造作を室町殿が命じたので、その協力金として10貫を三淵晴員に送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 11 | 14 | 28 | 本願寺証如のもとに土岐頼芸・鷲巣・斎藤より音信あり。使者は大桑与五郎。美濃国の門徒の年貢未納につき成敗を加えるので、さしあたり美濃門徒に土岐家へ年貢を納入するよう証如より命じて欲しいと依頼がある。 足利義晴より10月30日に納入した禁裏御修理料(加賀国分)100貫文の請取状が到来する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文12年 | 1543 | 11 | 23 | 28 | 門徒になることを希望していた鳥居小路経厚の願いを聞き入れる。経厚よりその礼として銭50疋が送られる。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文13年 | 1544 | 3 | 21 | 29 | 六角定頼が命じた勢多橋修復勧進について、本願寺証如が50貫文を奉加として出す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 1 | 10 | 31 | 本願寺証如が足利義晴に年始の礼として音信を遣わす。あわせて清光院、三淵晴員、伊勢貞孝、蜷川親俊へも音信を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 2 | 17 | 31 | 本願寺証如が三好長慶とその被官・塩田に当年の樽を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 2 | 18 | 31 | 本願寺証如が遊佐長教と走井に当春の礼として音信を遣わす。使者は麻生与一。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 2 | 19 | 31 | 三好長慶とその被官・塩田が2月17日の音信の返しとして本願寺証如に太刀を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 2 | 24 | 31 | 遊佐長教と走井が2月18日の本願寺証如の音信の返しとして書状と太刀を贈る。使者は滝野二郎兵衛(遊佐長教与力)で、証如は対面をし、綱所で酒をすすめる。 郡上安養寺の門徒・赤谷宗左衛門が本願寺証如に斎を調進する。順興寺実従、常住衆、卅日番衆、安養寺、赤谷宗左衛門が相伴する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 2 | 25 | 31 | 大坂本願寺寺内町に住む八尾明顕の門徒・荒川屋四郎衛門が本願寺証如に斎を調進する。順興寺実従、興正寺、常住衆、卅日番衆、明顕、荒川四郎衛門が相伴する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 4 | 20 | 31 | 大坂本願寺の阿弥陀堂前の四足門が立つ。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 9 | 5 | 31 | 本願寺証如が中島(摂津国)に在陣中の三好長慶、安宅神太郎(冬康)、十河孫六郎、三好政長に音信として3種3荷を贈る。使者は芝田宗九郎。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 10 | 29 | 31 | 金沢坊舎に木仏本尊、親鸞御影(大幅)、親鸞絵伝、名号、実如御影、三具足、仏器、灯台を下付する。金沢坊舎に堂衆として広済寺慶信を派遣する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 12 | 6 | 31 | 本願寺証如が三好長慶、三好之虎、三好政長、山中三郎太郎、山中橘左衛門、三木与左衛門、塩田に音信として綿を送る。使者は芝田宗九郎。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 12 | 9 | 31 | 金沢坊舎に七高僧御影、聖徳太子御影を下付する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 12 | 13 | 31 | 本願寺証如が六角定頼、平井、進藤貞治に歳暮として書状・梅染を送る。使者は中間。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 12 | 16 | 31 | 細川晴元が書状をもって河内国一揆について本願寺証如が制止を加えたことについて謝す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文15年 | 1546 | 12 | 21 | 31 | 本願寺証如が、足利義藤の元服につき、足利義晴と義輝へ披露状をもって御礼を申し入れる。使者は円山隠岐。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文21年 | 1552 | 10 | 13 | 37 | 本願寺証如が朝護孫子寺に参詣し紅葉を見物する。昼食を同寺でとり、同寺の十穀聖に折3合、大折1を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文21年 | 1552 | - | - | 37 | 摂津国川端より帰陣した十河一存のもとに本願寺証如が3種5荷を贈る。使者は芝田宗九郎。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文22年 | 1553 | 11 | 13 | 38 | 長尾景虎が堺に到着する。本願寺証如に音信として太刀・馬を遣わす。ただし実物は越後国より送るため目録のみで、実際には鳥目1000疋と樽代を送る。この音信は、三好長慶よりの助言による。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文22年 | 1553 | 11 | 14 | 38 | 本願寺証如が長尾景虎に、11月13日の音信の返礼として太刀(2貫相当)・緞子10端(13貫余相当)・嶋織色20端(15貫相当)を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 5 | 19 | 39 | 本願寺証如が堺に到着した安宅冬康に音信として5種5荷を、菅若狭に3種3荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 6 | 7 | 39 | 六角義賢が本願寺証如の当年の礼への返礼として贈った3種5荷が、証如のもとに到着する。義賢の家臣・平井より鮒鮨2桶(数百)が証如に贈られ、この日到着する。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 6 | 9 | 39 | 安見宗房が本願寺証如に中野五郎左衛門を介して黒栗毛馬1疋を贈る。この馬は、宗房が河内国から能登国へ人を遣わすにあたり加賀国の通行の保証を証如に求めたことについて、承諾してもらったことへの礼。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 6 | 10 | 39 | 本願寺証如が7日の返事として六角義賢に書状と礼として絞20具(浅黄入り)を贈る。義賢の家臣・平井に鮒鮨2桶(数百)の返しとして絞10具を贈る。いずれも下間頼資の添状をつけ、平井の使者に託す。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 6 | 23 | 39 | 六角義賢が本願寺証如に10日の義賢宛の絞20具の贈答に対する書状を送る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 6 | 28 | 39 | 本願寺証如が安見宗房に丹瓜5籠を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 7 | 11 | 39 | 本願寺証如が松永久秀に瓶鮨5を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 7 | 18 | 39 | 本願寺証如が松永久秀に音信として絞20具を贈る。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 7 | 18 | 39 | 本願寺証如が松永久秀に音信として絞20具(浅黄入り)を遣わす。 | 『天文日記』同年月日条 |
天文23年 | 1554 | 8 | 12 | 39 | 子・顕如が得度する。法眼に叙される。 | 『大谷嫡流実記』「顕如」の項 |
天文23年 | 1554 | 8 | 13 | 39 | 本願寺証如が死去する。 | 『大谷本願寺通紀』巻2「証如」の項 |