地 名 の 歴 史

初 見-
尾張国
愛知郡
荘 園-
中 世 高-
近 世 領 主-
近 世 石 高-
鎮 守-
神 社-
寺 院-
城 郭名古屋城
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
名古屋(尾張国) 年表
- -年 -月-日 
織田信秀が那古野城(尾張国)を子・信長に譲り、古渡(尾張国)に新城を築き居城とする。
出典:『信長公記』(首巻)おわり国かみ下わかちの事

天文24年 1555年 1月-日 
織田信長の要請を受けて斎藤道三が派遣した安藤守就率いる軍勢1000が名古屋(尾張国)に到着する。
出典:『清須合戦記』

慶長5年 1600年 8月12日 
細川忠興が、名古屋(尾張国)の万松寺に陣取る。
出典:『細川忠興軍功記』

慶長12年 1607年 閏4月26日 
徳川家康徳川義直を甲府(甲斐国)より名古屋(尾張国)に転封する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第161「青木信安」の項

慶長16年 1611年 9月3日 
佐久間政実が名古屋(尾張国)より駿府城(駿河国)に居る徳川家康のもとに赴き、名古屋城(尾張国)の普請指図を献じる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長16年 1611年 12月30日 
平岩親吉名古屋城(尾張国)二ノ丸にて死去する。
出典:『当代記』慶長17年1月4日条

慶長17年 1612年 1月27日 
徳川家康名古屋(尾張国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 1月28日 
徳川家康名古屋城(尾張国)の屋敷普請、堀普請を命じる。
浅野幸長が使者をもって家康に御服5領を献上する。家康は幸長に鶴を下賜する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 11月2日 
徳川秀忠名古屋(尾張国)に到着する。
出典:『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 11月10日 
本多正信名古屋(尾張国)に到着する。
出典:『当代記』同年月日条

慶長20年 1615年 1月7日 
卯刻(5-7時)、徳川家康桑名(伊勢国)より船に乗る。道中、鷹狩をして、申刻(15-17時)、名古屋(尾張国)に到着する。名古屋城(尾張国)城主の徳川義俊大坂城(摂津国)の堀・櫓破却につき不在のため、留守居の藤田民部少輔、原右衛門が家康を饗応する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条

慶長20年 1615年 1月8日 
徳川家康名古屋(尾張国)に逗留する。卯刻(5-7時)、鷹狩に赴き、申刻(15-17時)に戻る。
徳川秀忠大坂城(摂津国)の堀埋め普請について、諸勢をもってあたるといえども、二ノ丸の堀の幅が40-60間、深さが3-4間があってすぐには完了しないことを家康に報告する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長20年 1615年 1月9日 
辰刻(7-9時)、徳川家康名古屋(尾張国)を出立する。道中を鷹狩をする。申刻(15-17時)、岡崎(三河国)に到着する。岡崎城(三河国)城主の本多康紀大坂城(摂津国)の堀・櫓破却につき不在のため、留守居の者が家康を饗応する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条

慶長20年 1615年 4月13日 
織田有楽・尚長父子が名古屋(尾張国)にいる徳川家康のもとを訪れる。長益・尚長は、豊臣秀頼の軍勢の状況について、牢人衆を三手に分け、大野治長後藤基次で一手を、木村重成渡辺糺真田信繁明石全登で一手を、大野治房長宗我部盛親・毛利勝永・仙石秀範で一手をなしていることを伝える。
家康は、14日の昼には桑名(伊勢国)に赴くことを事前に伝える。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 8月10日 
未明、徳川家康が亀山(伊勢国)を発つ。昼、四日市(伊勢国)にて水谷九左衛門が家康に膳を献じる。四日市より船に乗り、申刻(15-17時)、名古屋(尾張国)に到着する。家康を迎えるため徳川義俊が船を出す。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 8月11日 
徳川家康名古屋(尾張国)に逗留する。家康は子・義俊に美濃国内で30000石を新たに給付する。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 8月12日 
徳川家康が雨のため名古屋(尾張国)に逗留する。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 8月13日 
巳刻(9-11時)、徳川家康名古屋(尾張国)を発つ。岡崎(三河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

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