人 物 史

筒井順昭 つつい じゅんしょう
生 没 年大永3年(1523)2/15-天文19年(1550)6/20
出 身大和国幼 名-
別 称-
法 名栄舜房
戒 名-
筒井順興-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者妙久
筒井順慶
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
筒井順昭 年表
大永3年 1523年 2月15日 1歳
筒井順昭が生まれる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 6歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 10歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文11年 1542年 3月12日 20歳
足利義晴の使者として大舘常興のもとを祐阿が訪れる。訪問目的は、筒井順昭より代替わりの御礼進上があったが御内書を発給するべきか否かとのこと。常興としては不要であると考えるが、六角定頼伊勢貞孝が必要と考えるならば発給してもよいと返答する。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文15年 1546年 8月21日 24歳
細川氏綱の合力として、筒井順昭が龍田城(大和国)に出陣する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文15年 1546年 9月21日 24歳
筒井順昭が病を患う。「もかさ之煩」であるという。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文15年 1546年 9月24日 24歳
筒井順昭が菅原に軍勢を遣わし、同地を焼き払う。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文15年 1546年 9月25日 24歳
筒井順昭が総勢6000で越智(大和国)に攻め入る。貝吹城、ヲキ田城を落とすことができずに筒井(大和国)に帰還する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文15年 1546年 9月27日 24歳
筒井順昭が合戦にて軍勢を少々失う。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文15年 1546年 9月28日 24歳
筒井順昭の陣立の祈祷が行われる。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文15年 1546年 9月29日 24歳
再度、筒井順昭の陣立の祈祷が行われる。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文15年 1546年 10月3日 24歳
勧学寺の合戦で筒井順昭と越智勢が戦う。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文15年 1546年 10月10日 24歳
筒井順昭が交渉により貝吹城を落とす。同城に嘉幡、高田、八条らを入れ置き、順昭は撤退する。これにより大和一国が順昭に帰服したとする。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文18年 1549年 3月3日 27歳
子・順慶が生まれる。
出典:-

天文18年 1549年 4月26日 27歳
筒井順昭が坂本(近江国)に赴く。道心と名乗り、延暦寺に赴く。
出典:『多聞院日記』同年5月6・18日条

天文18年 1549年 5月18日 27歳
筒井城(大和国)にて興福寺衆による信読経が行われる。これは、筒井城内にて奇異のことが多く起こったり、光る物が現れたり、狐が人々を悩ますためであるという。また、筒井順昭も狂気することがあるためだという。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文19年 1550年 6月11日 28歳
筒井順昭、畠山氏が軍勢25000で万歳郷を放火する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文19年 1550年 6月20日 28歳
筒井順昭の病につき松屋にて祈祷が行われる。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文19年 1550年 6月22日 28歳
病の筒井順昭を見舞うため十市が五大院に赴く。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文19年 1550年 6月23日 28歳
奈良(大和国)にて筒井順昭の死亡が噂される。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天文19年 1550年 7月16日 28歳
筒井順昭の死が確かなことであると奈良(大和国)中に伝わる。
出典:『多聞院日記』同年月日条

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